Pretty Woman

このブログを読んでいる人には悪いけれど―毎回読んでいる人がいるとは思えないので実際のところ悪いとはあまり思っていないけれど―今回も喫茶店の話を書こうと思う。私の毎日は大学と家と喫茶店の往復で終わってしまうので、他に書くことなんか無いからだ。九時過ぎに起きて大学へ行き、二限だけ受けまっすぐ帰宅して夕方まで寝て、かぼちゃの煮つけとお味噌汁と大根と挽肉のみそ炒めと小松菜のおひたしを作って食べました、なんて文章を書いたところで誰が読むのだろう。自慢じゃないけれど私はかぼちゃの煮つけには自信がある。

 

個人経営の喫茶店は二種類しか無い。綺麗で静かな店と、汚くてうるさい店だ。私の勤めている喫茶店は模範的後者である。店内には常にやかましい80年代洋楽を軸とした音楽が流れ、コーヒーの味なんか気にも留めちゃいない老人たちが声高に近所に出来た整骨院について批評を交わし、世間の嫌煙運動に迫害されたサラリーマンがバカスカ煙草をしばき倒す、そんな店だ。間違えてもサティのジムノペディなんか流れない。シンディ・ローパーが一日に二度は流れる。そんな店だった。

 

老人というのはいつの時代も一方的な長話をするのが得意だ。しかも若者が相手だと俄然実力を発揮する。老人同士だと長話をしようにも向こうも実力者であるわけだから、とんでもないタイミングでありえない角度から横やりが入り、若者に対しするそれとは格段に話しやすさが違う。その点若者の多くは、無視することが出来ずに眉を悲し気な角度に傾けながら、ええ、はい、と二文字程度の相槌を打つことしかできない。老人はその二文字を木炭のように受け入れてさらに勢いよく火の粉をふくように喋る。大抵この役回りは彼らの孫が引き受けるのだが、しがない喫茶店店員にもたまにお鉢が回ってくる。自慢じゃないけれど私は老人の相手をするのがすこぶるうまい。口数が少ないからだ。

 

彼女はほぼ毎日颯爽と現れ、一直線にカウンターまで来てサラダとコーヒーを注文し、それから座席を確保する。いつも何やら口の中でモゴモゴと話しているけれど、小声なので害はない。ごく稀に、私を捕まえてローファーが綺麗と褒めてくれたり、定休日は何曜日かを確認してくる。私は彼女にローファーが好きなんですと四度答え、定休日は水曜日ですと一万二千回ほど答えた。でも大抵彼女との会話は五ラリー以内で終了し、それを超えたのは今日が初めてだった。

彼女から千円札を受け取り、お釣りをレジスタから取っている最中に、彼女の長話は始まった。彼女は近所の老人ホームの六階に住んでおり、六階にいる人々は比較的介護レベルが低くみな自力で食事や排せつが出来るけれど、七階や八階に住む人々は一人では何もできない、彼女は六階では一番元気で、彼女のように毎日近所を散歩する者はそうそういないとのことだった。私がお釣りを手のひらでまごつかせていると、彼女は身を乗り出してさらに口を開いた。彼女の向かいの個室には北海道庁に勤めていた男性が入居しており、パチンコに毎日行っているらしく(毎日近所を散歩する者がほかにもいるじゃないかとこの時思った)、一度でいいからパチンコに行ってみたいとこぼすと連れていってやろうかと誘われた、でも男性と二人で外出したらみんなに噂されてしまうから断ったとのことだった。ラジカセからロイ・オービソンが囃し立てるようにオー・プリティー・ウーマンを口ずさみ始めた。私はここでようやく、「好奇心旺盛なんですね」と感想を述べることが出来た。彼女は大いに満足したらしく、私の手からお釣りをむしり取ると、そのまま満面の笑みで握手をし、また明日!と手のひらを振り去っていった。ちなみに明日は私の出勤日ではない。

大学生

あまり一日に立て続けて文章を書くのは好きではないけれど、文章というのは書きたい時に書けるだけ書くのが良いというのを経験則で知っているので、再びキイボードの前に座っている。以前最寄りの西友で、お菓子の冷ケースの中に豆腐のパックが放り込まれているのを見て無性に何かを書きたくなった記憶があるけれど、何を書きたかったかすっかり忘れてしまった。それ以来、思いついたことはとにかく形に残しておくように心掛けている。

今回は別に書きたいことが思いついたわけではなくて、ただ単に眠れないうちに朝が来てしまっただけである。随分前からベッドでは眠れなくなってしまって、今日も床で本を読んでいるうちに空が白くなっていた。なにしろ父親が十年以上も使用していたベッドなので、経年劣化でマットレスのスプリングはとうに切れており、ベッドで寝るほうがかえって疲れてしまうのだ。もはやこうなるとセミダブルのベッドは部屋の大部分を占領するただのゴミでしかない。今は専ら、すっかり使われなくなった電子ピアノと、すっかり使われなくなったセミダブルのベッドの間の床の上に―私の部屋にはすっかり使われなくなった物ばかり置いてある―タオルケットと枕を敷いて寝るようにしている。三日に一日くらいの割合で空が明るくなる前に寝ることが出来る。残りの二日は考え事をしたり(夜に考えてもろくな答えは出ないのでよした方がいい)、本を読んでいる内に睡眠に然るべき時間をやり過ごしてしまう。今日は読み掛けだったフリーマントルの「嘘に抱かれた女」を読了すると夜が明けていた。オットーが行為の最中エルケに「きみのことしか考えられない」と言いながら、頭の中ではうまいレバーケーゼとザワークラウトを出すケルンの店の名前を必死に思い起こそうと努めるシーンが素敵だった。

前回区立の図書館に行ったのは8月28日であり、本の返却期限は9月11日だった。まだ六日間猶予があるけれど、借りた五冊の小説は全て読み切ってしまった。貸出票を眺めながら何を借りるか考えている途中で、今日は月曜日なので図書館が休みなことを思い出して溜め息が漏れた。本当はこんな古ぼけた小説ばかり読む時間があるならば、運転免許なり色彩検定なりの取得に向けた行動を起こさなければならないのだけれど、今は古ぼけた小説が無性に読みたい期間なのだから仕方がない。大学生というのは、思い立ったときに思い立った行動が出来る唯一の期間なのだ。今私は無性に焼きたてのパンが食べたくなったので、近所に早朝に開店するパン屋が無いか調べている。

オタク

気持ち悪いオタクであることを急遽思い出したので、知人と新海誠の新作「君の名は。」を見てきた。劇場内はオタクよりも中高生やカップルの比率が高いように見受けられ、若干の居心地の悪さを感じつつも、新海誠もここまで認知されたのだなあと感慨深くなった。作品内の全音楽がRADだったこともこの視聴者層に大いに起因しているとは思うけれど、それにしてもひと昔前まで「星を追う子ども」でオタクたちに袋叩きにされていた監督の作品とは思えないほどの盛況っぷりだった。後半は涙腺が崩壊し―年を取るにつれ輪を掛けて胃腸と涙腺が弱くなった―視聴後は涙でグチョグチョの顔面のまま感想をぶちまけようとしたところを知人に化粧室に行くよう勧められ、人前に出ても許される程度の顔面に立て直したところでやっと素晴らしいという感想を交わしあうことが出来た。新海誠の作品といえば、路地裏の窓だの新聞の隅だので好きだった人の幻影を探してしまうような、綺麗な作画とは裏腹になんとも言えない余韻(よく"切ない"と表現されているのを見るけれど、もう切なさすら通り越して具合が悪くなるほどの後味)に浸らされるものが多いのだけれど、今回は実に爽やかな、タイトルどおりの結末だった。もうすでに各所で感想や批判(これだけの作品でも批判が必ず転がっているあたり、まだまだ粗探しが好きなオタクが元気に生きていることを実感させられる)がされているので、いちいち深い感想はここでは述べないことにする。ただ、ちらっと見かけた「ヒロインが最後ほかの男と同棲か結婚していたら最高だった」というツイートには、確かにそちらのほうが新海誠っぽいなあと笑ってしまった。

 

気持ち悪いオタクなので、視聴後はすぐに窓口に並びパンフレットを購入した。上映前から各所でインタビューされていたとおり、今までの経験を最大限に活用してより幅広い層に受け入れてもらえるような作品を作った、と新海監督は述べていた。その狙い通り、この作品は間違いなく彼の代表作と呼べるものになったと思う。インタビュー記事を読みながら、私は全く違う監督のインタビューを思い出した。それはWake Up,Girls!劇場版後編btbの―例により気持ちが悪いオタクなので視聴後すぐに購入した―パンフレットに書かれていた。今なにかと話題にされている山本監督は、なぜテレビアニメではなく映画という形をとったのかという質問に対し、「不特定多数の視聴者ではなく、WUGを応援するために劇場まで足を運ぶファンに限定して作品作りをすることで、より深い作品を作りたかった」という旨の返答をしていた。今彼は主にツイッターやブログを駆使して、そのファンすら含む大多数のオタクによく思われないような発言を繰り返している。オタクの言い分にも極端なものは多数見られ、かといってそれにいちいち言葉遊びのように反論する山本監督にも賛同できず、私は傍観者の位置に徹してそれを眺めている。ただ、監督なら監督らしく、言いたいことは作品に込めればよいと思う。やたらとバラエティに出る作家や、ライブのMCが長い歌手が私は嫌いだ。今回新海の言いたいことは確実に作品を通して伝わってきた。一般人を相手に言葉遊びのような発言を繰り返すよりは、オタクが度肝を抜かすような作品をまた作ってくれれば良いのになあと思う。ちなみに今このブログはWake Up,Girls!2nd Tour「行ったり来たりしてごめんね!」ライブTシャツ(XL)を着ながら書いています(気持ち悪いオタクなので)。

妥協

飲み会について、以前にもここで文章を書いた記憶がある。今回も全く同じ友人二人と、いつもと同じように仙台駅前に集合し、ふらふらと歩き、今回は駅から歩いて割とすぐの大衆居酒屋に入ることにした。古い映画のポスターやレコードのジャケットが店中に貼られていることで有名なチェーン店だ。開店して間もなかったので、店内は空いており、我々はすぐに最初の酒を手にすることが出来た。

今回も前回と同じように―よくよく考えてみれば毎回このパターンだけれど―友人二人の彼氏の愚痴や、惚気や、性生活について勢いよく話が展開され、私が時折「そうだね」「それはひどいね」といった相槌か同意を示した。片方は記念日をすっぽかされ、もう片方は性行為について不満を持っていた。どちらも激しく怒っていた。二人の言い分はもっともだった。私は心の底から彼女たちの怒りに同意し、早く別れればよいと意見を示した。すると二人は顔を見合わせ、「でもねえ」と口を開いた。いつもそうだった。私は二人の言い分に納得しているし、だからこそもっと良い相手が見つかると思っているのに、彼女たちは別れようとはしなかった。私は彼女たちに意見を提供することではなく、同意を示すことでしか役に立てないようだった。まだ私のほうが、彼女たちの恋人よりも、彼女たちを理解し、愛することが出来る自信があった。でも、もし私が彼女たちと付き合えたとしても、なんだかんだ理由をつけて振られるのだろうとも思った。きっと「重すぎる」とかなんとか言われるのが目に浮かんだ。

そのあと一人は店を出たところで離脱し、残った一人と二人でカラオケに入った。最初の二時間はめいめいが好きな曲を歌い、残りの二時間は恋愛観についての討論が交わされた。彼女は八本目の煙草を灰皿に押し付けながら、「恋愛というのはどこかで妥協が必要なんだよ」と呟いた。これが嫌、あれが嫌というのは誰にでもあり、その妥協できる範囲は我慢しなければいけないらしい。私が彼女から聞かされた恋人の嫌なところは、とっくに我慢できる範囲を超えている気がしたけれど、それについては黙っておいた。彼女が我慢できるのならば、私が口を挟む問題ではない。

家について、彼女たちの話を思い出しながら、私は妥協が出来ない心の狭い人間なのだと気が付いた。だからこそ、22年も生きてきて、ろくに恋人が出来ないのだ。でも、恋人がほしいとは思えなかった。二人には私の分まで幸せになってほしいと願いながら、髪を洗った。二度洗いしても、染みついた煙草の匂いは消えなかった。彼女たちのことは大好きだけれど、煙草の匂いだけは嫌な部分だった。もっとも、それは我慢できる範囲の微々たるものでしかない。

電話

外では依然として雨が降り続いていた。さっき少し小ぶりになったと思ったのに、今はまた激しくコンクリートを打ち付ける音が店内にまで聞こえてくる。雨が強くなる前に喫茶店を見つけてよかったと、私は窓の外でトラックが激しく水しぶきを上げて走るのを眺めながら胸を撫で下ろした。また強くなってる、いやねえ、と女性店員が大袈裟に言い、ほんとですよねえ、とまた別の女性店員がそれに答えた。店内には私以外の客はおらず、したがって店員同士のたわいのないやり取りが店内で唯一の会話だった。BGMは基本的にピアノ音楽のみらしく、今は久石譲の「帰らざる日々」が静かに流れていた。

テーブルの上には、真冬の真夜中のように真っ黒なコーヒーと、あくまで添え物としての適量をわきまえた生クリームとスコーン、そして残高が二千円のみとなった預金通帳が置かれていた。かれこれ三十分程預金通帳を眺めたものの、残高は減りもしないし増えもしなかった。一時間ほど前に、延納していた前期分の学費を振り込んだからだった。果たして私の半年間に47万円もの価値があったかは分からないが、ともかく大学から除籍されないためには47万円を振り込まざるを得ないことだけが明白だった。もっとも、延納期日は去る八月二日であり、その事実に内定先の懇親会に出席するために宿泊していた名古屋のホテルで気が付いた私は、学務に電話で四千円の過払いを命じられていた。明日はその四千円を払うために、学生最後の夏季休暇中にも関わらず大学へ行かねばならなかった。もちろん通学定期は期限が切れている。失われた47万円と、明日失う四千円および交通費のことを考えると、自然と溜息が漏れた。今日だけでとんでもない量の二酸化炭素を排出している気がした。もっとも、人間の呼気にどれだけの二酸化炭素が含まれているかを私は知らない。

携帯に掛かってくる電話は身内がほとんどであり、それ以外から掛かってくることは滅多にない。先日の学務からの電話は非常に貴重な例に当たる。そしてそれはアルバイト先の喫茶店でも同様である。アルバイト先ではホールは私一人が仕切るため(一人で事足りるほど店は小さい)、おのずと電話は私が取ることになる。電話はほとんどが取引先の肉屋、業務用スーパーからであり、それ以外は当たり前だが全て客からの電話である。月曜日の夕方―おそろしく暇な時間帯である―に電話が掛かってきた時も、おそらく肉屋かスーパーだろうと見当をつけつついつも通り受話器を取ると、聞こえてきたのは聞き馴染みのない男性の声だった。おそらく四十代で、なんとなく小太りのような声だった。男性はくぐもった低い声で、先日あなたを見ながら店内で自慰行為をしたのですが、どうでしたかと言った。なんのことだかさっぱり分からなかった。とにかくセンテンスを頭の中で区切ってみた。先日、あなたを見ながら、店内で、自慰行為をしたのですが。そこまでは理解できた。どうでしたか。どうでしたか?どうもくそもない。私はその事実を知らなかったし、できることなら知りたくもなかった。そこまで考えが及んでようやく、これが悪質で、真面目に対応すべきでない電話であることに気が付き、失礼しますと告げて受話器を置いた。受話器を置いた瞬間、気持ちの悪い後味と、なぜ私が失礼しなければならないんだという自責の念が込み上げてきた。
キッチンに戻ると、奥さんがなんの電話だったのと尋ねてきた。私は逡巡したものの、うまい嘘を思いつかなかったので、包み隠さず電話の内容を報告した。奥さんはやだあと大きな声を上げ、気持ち悪いと言いながら身をよじらせた。そのよじらせ方から本当に気持ちの悪い様子が伝わってきたので、私は思わず笑った。二人でしばらくそのようにして身をよじらせ笑いあうと、気持ちの悪い後味は和らいだ。それでも、電話が鳴るといまだに少し身構えてしまう自分がいる。学務からの電話のほうがよっぽどましだ。

別れ

約2週間ぶりに勾当台公園駅に降り立った。かつての職場―平たくいうとスナック―から先月分の給料を受け取るためである。勾当台公園駅から歩いて数分のところに、県内(というか東北)一の歓楽街である国分町がある。かつての職場は国分町と書かれたアーケードをくぐってすぐの雑居ビルの中にあった。

ノックをして重たい扉を開くと、体の線にフィットしたドレスに身を包んだママがカウンターで作業をしていた。お久しぶりです、と挨拶すると、声が治ったことを喜んでもらった。以前アルバイトを辞めさせてもらうために挨拶に来た際は、丁度風邪をこじらせて声が全く出ず、手紙を渡して断りを得たことを思い出した。ママに勧められるがままに、奥のボックス席に腰掛けた。店内は縦長に細く、入ってすぐの左手に4人掛けのカウンターがあり、その奥にボックス席が2つある。せいぜい10人程度しか入らない小さな店だ。それでも、ママの長年の付き合いのお客さんがひっきりなしに店を訪れ、いつも狭い店内は賑やかだったのを、私はソファに腰掛けながらぼんやりと思い出していた。考えてみれば少し前まではその中に自分もいたはずなのだが、今となってはぴんと来ない。

ママに手渡された封筒には、私が喫茶店で40時間掛けて稼ぐ金額を遥かに超える万札が入っていた。ママにその後を訊かれて、私は母親と仲直りしたこと、複数のアルバイトを掛け持ちしてなんとかやりくりしていること、夏休みになったら引っ越しか何かしらのアルバイトを増やすつもりであることを報告した。そしてわずかな期間で辞めるに至ったことをもう一度、きちんと口に出して謝罪した。ママは全然気にしていないようだった。いちいち気に留めていたらやっていけないほど、彼女は沢山の出会いと別れを繰り返してきたはずだった。いつの間にか音信不通になったり、求人の応募をしてきたのに面接に来なかったりといった女の子たちの話を聞かされていたので、せめて最後にきちんと挨拶はしようと思っていたが、結局3ヵ月で辞めるに至った私も、ママにとっては彼女たちと変わりないのかもしれない。そのことが少し寂しかった。

立ち上がって頭を下げると、彼女は「こうしてご縁があったのだから、また会えるといいわね」と言って、微笑んでくれた。でもきっと二度と会うことはないと思うし、彼女もそう分かった上で言ったのだと直感的に思った。私は最後にもう一度深く頭を下げ、重い扉を閉めた。

 

家に帰ると、客から貰った名刺と自分の名刺を屑かごに捨てた。

挽く

22年間でいくつかのアルバイトを経験してきた。公文式の採点に始まり、引っ越し業者(十日でやめた)、古着屋店員(お洒落な人が来るような店ではなく、おばさんが引き出しの奥から何十年ぶりに引っぱり出してきた洋服をゴミ袋に大量に詰め込んで持ち込んでくるような店だった)、スナック(これについてはまた別の機会にいつか書きたい)、販売デモンストレーション(スーパーやイベント会場の片隅で新発売のビールだのジュースだのを売りつけるアレだ)、そして喫茶店店員だ。今日は昼から喫茶店で働くことになっている。いくつか経験した中で最も時給が低く(何しろ最低賃金を割っている)、最も好きなアルバイトだ。

喫茶店の最寄り駅は自宅の最寄り駅から二駅しか離れておらず、その気になれば歩いていくことも可能なほどの距離にある。個人経営の喫茶店で、店内は積み重ねてきた歴史を感じる落ち着いた内装だ。よく言えばレトロ、悪く言えば古い店だった。壁のほとんどが大きくて古い(この店にあるもので古くないものはほとんど無いと言ってもいい)本棚で囲まれており、そしてそのすべてにぎっちりと漫画が詰め込まれている。いくつかの本棚はその重みに耐えかねて、激しく湾曲している。いつか床が抜け落ちてしまうのではないかと私はたまに不安になる。喫茶店は夫婦が経営しており、アルバイトは3人いるが、定休日を除いた6日間をその3人がひとり2日ずつ分担しているので顔を合わせることはほとんど無い。私は土曜日と月曜日を受け持っていた。ひどく混むこともあれば全く客が来ないこともある。ひどく混んでいる時は注文を取り、水をついで周り、コーヒーをたて、料理を運び、会計をし、新たに来た客にメニューを出し、とにかく歩き回る。全く客が来ない時は、奥さん(かマスター)と世間話をしたり、パンを焼いたり(パン焼き器に小麦粉だの砂糖だのをぶちこんでスイッチを入れるだけ)、本棚や窓を拭いて過ごす。よく拭くのでそんなに汚れているわけではないのだが、あくまで働いてますよというポーズのための作業だ。たまに漫画を読んでもばれることはない。そして今日は月曜日であり、おそらくほとんど客が来ない。

このアルバイトで最も好きな作業は、何といっても「挽く」作業だ。挽くものは氷、そして珈琲豆のどちらかである。珈琲豆は専用の機械(おそろしく古い)に入れてレバーを上げると、さながら工事現場のようなけたたましい騒音を立てながら粉末になる。粉末になった珈琲豆はより独特の匂いがして私は好きだ。そして氷だが、これはアイスコーヒーやアイスティーが注文された時挽くことになる。製氷機からスコップで氷をいくつかすくい、かき氷機のようなあの機械(おそろしく古い)に入れ、右側面にあるレバーを回転させる。おそらく左利きの人のことは考えて作られていない。ゴリゴリゴリゴリという振動と音には、言い様のない快感がある。大抵私はこのとき人には言えないような愚痴不平不満だのを想像しながら氷を削る。ゴリゴリゴリゴリという音とともに、そういったよろしくない感情は消化される。そして今の季節は夏であり、仙台も例年のごとく暑い日が続き、多くの客が冷たい飲み物を求めて喫茶店へと訪れる。喫茶店へ向かう時は、私のアルバイトへ向かう道のりの中で唯一足取りが軽い。