美容院

美容院は苦手だった。苦痛と言ったほうが適切かもしれない。とにかく、美容師というのは明るくお喋りな人がほとんどで(中には苦手なのを無理して頑張っている人もいるのかもしれないがそういう性格の人はわざわざこの職業は選ばないと思う)、私のような陰気なオタクにもかいがいしく話し掛けてくれる。その気遣いがかえって私には苦痛であり、とにかくカットしてもらう一時間、ひたすら興味のないファッション誌の活字を追うことと時折最低限の返事をすることに意識を傾けてやり過ごすのが私のやり方だった。

 

来週に控えた最終面接のために、二カ月ぶりにその苦手な美容院に行くことにした。今回選んだのは自宅から横断歩道を挟んですぐ向かいにある美容院である。家を出てわずか1分で到着すると、茶髪の巻き髪の女性店員さんが見事な接客スマイルで出迎えてくれた。2時に予約をした旨を伝えると、すぐに窓際の席に案内された。日光に照らされた自分の顔は、お世辞にも顔色がいいとは言えなかった。実のところ、今日は本当に体調が優れなかった。ここ最近月経不順に悩まされており、前回は月経が来るのに3ヵ月も空いたというのに、それから1ヵ月も経たない昨日また月経が訪れていた。下腹部に鈍痛が走り、どことなく寒気もしていた。血の気の失せた顔のオタクの背後に、突然爽やかな笑顔の男性スタイリストが現れた。彼の笑顔を見ていると、ますます気分が悪くなった。別に彼が悪いわけではなく、むしろこの爽やかな男性に体中から体調不良による嫌な汗を出した陰気なオタクのカットをさせることが本当に申し訳ないという罪悪感によるものだった。どのようにしますか、と聞かれたので長さは変えずにすいてください、と簡潔に答えると、彼はわかりましたと答えつつ私の髪に手を触れた。そしてその工程の中で、私の耳を触る瞬間があり、その瞬間、他人の手の温かさと自分の耳の冷たさにひどく驚いた。血の気が失せると耳はこんなに冷たくなるのか、そして他人に耳を触ってもらうというのは、これほどまでに気持ちの良いものなのか。驚愕と感嘆と快感がないまぜになった瞬間だった。そのあと何度かまた耳に触れられる瞬間があり、その度に少しずつ体調が回復していくのを感じた。

 

カットはきっかり一時間で終わり、髪型も注文通りに仕上がった。最終面接が来週に迫っていることをカットの工程のささやかな会話の中で伝えており、彼は最後に髪の仕上がりを確認するように後頭部を触りながら、面接頑張ってねと言ってくれた。私は返事をしつつ、後頭部ではなく耳を触ってくれないか内心祈っていたが、結局耳を触ることはなかった。

家に帰ってから自分で耳を触ってみたが、自分ではあの温かさと安心感は得られなかった。苦手なはずの美容院にもう一度行きたいと思ったのは初めてだった。