慣れ

慣れとは恐ろしいものだ。数日前に気付いた違和感が、いつの間にか日常として馴染んでしまう。違和感の原因を突き止める前に、本能で感覚を違和感の方へ合わせてしまう。慣れとは感覚における一種の麻痺状態なのかもしれない。

夏風邪をこじらせて声が出なくなったのは3日前のことだった。このクソ暑い最中に風邪をひき、こじらせ、声が出なくなっても接客業のアルバイトに勤しむ姿は我ながらひどく滑稽だった。初めのうちこそ声が出せないもどかしさに煩わされたものの、今ではすっかり慣れてしまった。それどころか、声を出せないメリットすら感じつつある。声が出せないことで、下手にコミュニケーションを取る必要がなくなった。気を使ってこちらから話しかけなくとも良いし、声が出せない人間に積極的に話しかける奇特な人間もそうそういない。慣れるとある種快適さすらあった。

部屋が少しずつ荒んできたのも、靴のヒールがすり減ってきたのも、イヤホンが断線したのも、どこかで必ず何らかの労働に勤しむ毎日も、初めは異変だったはずなのに、今ではすっかり日常として横たわっている。もしかしたら、この声が出せない状態も、日常として根付いてしまうのだろうか。今のところ不便ではないなと恐ろしいことを考えた時、母親から電話が鳴った。呑気な声で、家に牛乳はあるかと尋ねるので無い、ついでにアイスも買ってきてと頼む為に口を開いた瞬間、そこからただ空気が漏れていく事に気が付いた。電話を一瞬で切り、すばやくフリック入力、ものの30秒でメール送信を終えたものの、母親がそのメールに気が付くかどうかは分からない。彼女にとってケータイはいつまで経っても目覚まし機能付きの小さな電話であり、メールを打つことはおろか、受信に気付くことすら大変なことだった。私はやっぱり声が出せないのは不便だなと思い、とりあえず部屋の掃除に取り掛かることにした。