それでも町は廻っている

前回の記事から随分間が空いてしまった。気が付けばもう三月になり―私はいつも気が付くとかなりの月日を跨ぎがちだ―おそらく学生のうちに書く記事はこれが最後になるだろう。社会人になってからも記事を書けるだけの暇や、そもそも書くことがあるかどうか分からないし、そう考えるともしかしたらブログ自体がこれで最後になるかもしれない。自分の思ったことや行動を文章に起こす作業は、自身を理解するのに私にとってはとても適した作業だったように思う。文章を読み返すと、浜松から仙台まで乗り継いだ夜行バスのシートの感触や、喫茶店で珈琲豆を挽いた時の匂いや、新浦安のむせ返るような熱気を思い出せる。そしてそれを、少なからず自分以外の誰かと共有できた(かもしれない)ことを、実はかなり嬉しく思っている。大学と喫茶店を往復するつまらない毎日も、私以外の誰かにとっては新鮮な日々だったかもしれないし、出来ることならこれからも細細と続けていきたいけれど、それは先の自分に委ねることにする。


二月の末で喫茶店のアルバイトを辞めた。常連客にだけは、レジで会計をする際に今日で最後だということを伝えることにした。意外なことに、誰も彼もが別れを惜しんでくれた。普段話したことのないサラリーマンですら握手をしてくれて、この分だと彼女に挨拶する時は泣いてしまいそうだなと危惧した。
彼女はいつものように、夕方に嵐のごとくやって来た。大きな声で珈琲を注文してからいつもの席につき、小刻みに指を揺らしながらぶつぶつと独り言を続けた。珈琲を持っていくとローファーを褒めてくれたので、ローファーが好きなのだと答えた。帰り際は定休日を確認し、私はこのやり取りももうやることは無いのだと思い胸がつかえてしまいそうになりながら、なんとか水曜日だと伝えた。勢い良く帰ろうとする彼女を引き止め、自分が今日でこの店をやめるのだということを繰り返し伝えると、三回目でようやく彼女は事態を把握したようだった。なんでもっと早く言わないの、と大きな声を出しながら、その細い体のどこから出るのか分からないほどの強さで力いっぱい抱きしめてくれた。泣きながら頭を下げると、綺麗に折り目のついた一万円札を渡された。とても受け取れないと言っても彼女は頑なに押し付けて、代わりに手紙を書くように言い、私は次回給料を受け取りに来る時必ず手紙を書くと約束した。彼女は満足したように、いつもと変わらない笑顔で手を振りながら去って行った。


彼女の大声のおかげで、私がやめるという情報は瞬く間に店内に広がり、常連でない客からですら声をかけてくれた。何人かはラインのIDを書いた紙をくれた。土曜と月曜は必ず来てくれていた男の子は、何故か電話番号だけを書いた紙をくれた。ラインのIDが溢れる中で、時代錯誤な電話番号はとても目立っていた。ラインのIDと、エプロンのポケットから出てきたその他諸々のゴミを屑籠に放り、おばあちゃんから貰った一万円札と、男の子からもらった電話番号だけ、そっと財布にしまった。


私が失敗に気がついたのは、三月に入りしばらく経ってからのことだった。飲み会が続き、財布の中が無駄なレシートで溢れ始め、レシートともう今後使わないであろう仙台にしかない店のクーポンや会員カードはまとめて処分した。四月からは名古屋のホテルに缶詰になるので、引っ越しの準備も始めた。床に溢れるものは大抵いらないような気がした。片付けを終えた部屋にはまったく収納力が生かされていないすかすかのチェストと、勉強机と、スプリングの切れたマットレスが横たわるセミダブルのベッドと、何年も蓋を開けられていない電子ピアノだけが残された。ベッドに寝ころび、そういえば男の子に電話をしていないことに気が付き、財布を開いた。財布にはお金と僅かなカード類だけが残され、私は巨大な溜息をついた。