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四番搭乗口の待合席は、18時45分発 大阪行きの飛行機を待つ人の群れで埋まっていた。飛行機は新千歳空港で大雪の影響のため大幅に出発が遅れているとのアナウンスがあったが、果たしてそれがどれくらいの遅延になるのかについては触れられなかった。誰もが早く関西へと帰りたがって-もしくは行きたがって-いるのが重たい空気から感じられた。私は関西へと帰るのか、それとも向かうのだろうか。時計は19時半を指していた。


今回の年末年始の休暇は、前年よりもやや長い十連休となった。道中の新幹線で口を開けて寝ており、福島駅で目を覚ました時には完全な喉風邪にやられていた。おかげで十連休のうちほぼ半分は声を出さずに過ごす羽目になり、数少ない友人と家族以外とは顔すら合わせずに過ごした。ギャルとの毎年恒例となった飲み会だけはいくら断っても断れず、私は若手芸人のようにノートにマジックで文字を書く形式で飲み会に参加した。そんなのってありえないと思っていたけれど、やってみると意外と楽しかった。



仙台を発つ最終日、高校で仲の良かった友人と会った。彼女は少し痩せたようだった。高校時代は一緒にばかなことばかり-プリキュアを踊ったりとか授業そっちのけで手紙を書くとかその他諸々のかわいいことあらかた-したものだが、今回の帰省ではばかな話は何一つしなかった。小学校の教員として働いている彼女は、閉鎖的な職場環境に心をやられてしまったようだった。飛行機までの時間のほとんどは、あまりおいしくないスパゲティと彼女の仕事の話に終始した。彼女の仕事の話がふりかかったスパゲティはさらにおいしくなさに輪をかけ、最終的にはまずくなった。こんなことで感じたくはなかったけれど、我々は大人になってしまったのだと感じた。



22時間際に、ポンと軽いチャイムが鳴り、淡々とした声で本日の関西行きは欠航となったことが告げられた。当初の予定から五時間近くが経過していた。待合席中に我々のついたため息が響き渡った気がした。便の振替か払戻しを呼び掛けられたが、実際にはそれは払戻しの一択でしかなかった。カウンターでどちらにするか聞かれ、振替を希望すると、私より若そうな事務員の男の子が、明日の振替はできない、月曜なら便が空いているという旨をたくさんの余分な説明を交えながら教えてくれた。そういうのは振替とは呼ばないのだ。私はできるだけ綺麗な字で用紙に口座番号と名前を書いた。怒っている時に書く字は醜い。



結局この文章は、翌朝の新幹線の車内で書いている。十日も休んだというのに、一連の騒動で休んだ気がしなかった。膝に置いた鞄の中から、バイト先の喫茶店で買った珈琲豆の匂いがふいにして、少しだけ気分が和らいだ。喫茶店は相変わらず古ぼけていて、大きめの音量でオアシスが流れていて、世間に迫害された喫煙者達が煙草をしばいていた。豆を買うのは初めてで、あれだけ何度も挽いたのに百グラムの珈琲豆は意外と重く感じた。アルバイトをしていたときはただ好きな喫茶店ぐらいにしか思っていなかったけれど、ああいう店が長年変わらずに地元にあるということは、私が考えている以上にラッキーなことなのだとおもう。次帰って来るときは格安の飛行機だけは絶対やめておこう。