帰省

年下の恋人は明け方に帰って来た。終電を逃して、カラオケで時間を潰して始発で帰って来たらしい。何が真実で何が嘘かは分からないし、知りたいとも思わなかった。怒ってる?と聞かれたので黙って頭を撫でた。何年歳を重ねても、それに見合うだけの経験と自信を持たない私は、朝帰りした恋人を怒る気持ちにもなれない。


新大阪駅は覚悟していても落胆せざるを得ないほど、帰省をするーもしくは帰省したー人達でごった返していた。途中で外国人に道を聞かれ、目指していた時刻の電車に乗れないことは確定していたので、ろくに時刻表も確かめず自動券売機で適当に切符を買った。改札の前には駅員が貼り付き、わざわざ切符やICカードを乗客の代わりに改札に通していた。マップも開かずに道を聞いてくる外国人にも、駅員の補助が無いと改札も通れない外国人にも、嫌気がさした。疲労度に比例して心は狭くなる。本当はこんな些細なことに嫌気がさす自分に、そして毎度のことながら切符も持たずに大阪仙台間の長距離帰省に挑む自分にこそ、嫌気がさしているのに。


車内は案の定満席で、5号車と4号車の連結部分に立ち尽くすことになった。車窓の景色で暇を潰せたのはせいぜい京都までで、あとはポーターのボストンバッグに腰掛けて文庫本を読んでやり過ごした。「恋と水素」という実際にあったドイツ飛行船爆発事故をモチーフにした話を読み終わったところで丁度東京に着いた。東京は新大阪以上に人がごった返しており、 駅員がまるで沈没した船の破片にしがみつくように「最後尾」とかかれたプラカードを手にして人の海を漂っていた。お盆の帰省は航海に似ている。前もって緻密な計画を立てた者だけが安全な航路ーこの場合でいうと飛行機にあたるーを確保し、思いつきで帆を出した私のような人間は、難破することになる。それでも私は、負け惜しみじゃないけれど、新幹線の連結部分で本を読むのが実は好きだ。負け惜しみじゃないけれど。