神戸

珍しく何も予定のない日曜だった。空は雲が垂れ込めていて、隙間から若干の青空が見えると言う具合だった。一か八かという気持ちで洗濯物を干した。後輩の女の子から連絡があり、今日の予定を尋ねられた。何もない、今洗濯物を干しているところだと伝えると、神戸へ行きませんかと誘われた。もうすぐ知人が亡くなってから半年なのだと彼女は言った。まだ行ったことはないけれど、神戸の高台にお墓があるらしい。あれからー彼女の知人が亡くなって、二人で泣いた綺麗な夕焼けの日からーもう半年が経つのだ。時の流れは年々加速していくように感じる。

京都から神戸までは彼女の白いBMWで向かった。高速に乗ると突然の豪雨に見舞われた。フロントガラスに大粒の雨がたたきつけられ、車内はさながら銃撃戦のような音に包まれた。洗濯物…と絶望した顔で私が呟くと彼女は赤ちゃんのように手を叩いて笑った。京都を出たあたりで雨は上がり、うってかわったように日差しが照りつけた。彼女は良かったですねと言い、片手をハンドルにかけたままもう片手でサングラスを掛けた。女の私から見ても惚れ惚れするほど無駄のない洗練された仕草だった。

高速を降りてすぐのコーナンに寄った。郊外らしい敷地面積のコーナンだった。立体駐車場にはひっきりなしで車が吸い込まれていき、なぜこれだけ大勢の人間がコーナンに押し寄せるのか意味がわからなかった。店内に入ってすぐコーナンの匂いがすると私が言うと、彼女もわかりますと同意した。仏花を二束と線香とマッチを買った。
墓地はとても広かった。区画ごとにアルファベットと番号が振り当てられており、墓を探す二十代女二人組はどう見てもドームで自分の席番を探すアイドルオタクにしか見えなかった。墓を見つけ、水差しに水を入れて花を挿した。風が強く吹いていたので、私が手で覆って彼女がマッチを擦った。火は勢いよくつき、線香を傾けた。一瞬激しい赤い光が点滅した後、煙が細く立ち上った。手を合わせて、ついに一度も会えなかった故人に思いを馳せた。

あなたがいなくなってからしばらくは、本当に大変な日々だった。後輩は一人でいたくないと言い、毎日一緒に夜ご飯を食べた。丁度日本シリーズの時期で、会話には困らずに済んだ。月曜から水曜は近所の居酒屋で、木曜金曜は私の家でテレビを見た。日本シリーズはシーズンをろくに見ていない人間にも平等に面白かった。夜ご飯の時は楽しそうにしていても、ふとした瞬間にどうしても悲しみに襲われることは多々あった。一度仕事中に過呼吸になった彼女から呼び出されたこともあった。社用車の運転席で、薄い体を折りまげ、吐く様にして泣いていた。窓が閉まっているのに彼女の泣き声が聞こえた気がした。見ているだけで辛くなる泣き方だった。背中をさすり、水を飲ませた。賢い忠犬のように、車の外に座り、じっと彼女の側に寄り添った。会ったことがないのに、こちらまで悲しくなるような死は初めてだった。彼女の体験を通して、私は自分の好きな人が死んだらという恐怖をどうしても見つめざるを得なかった。

彼女から故人の話が出る様になったのは、つい最近だ。半年かけて、死は我々の生活に馴染み、溶け込んでしまった。死は生の対極ではなく一部なのだという事実がそこにはあった。

目を開けると、青い空とグレーの墓石と赤や黄色の仏花が目に眩しかった。なんだか夏休みみたいだなと思った。後ろを振り返ると神戸の海とビルの群れが見えた。ここなら故人も寂しくないだろう。我々は車へともどった。

帰り道の喫茶店でプリンとコーヒーを食べた。嘘みたいにおいしかった。家に帰ると洗濯物は濡れていた。そんな日もある。