遠い太鼓

阪神電車の車内は例年のごとく、ききすぎた冷房でよく冷えていた。冬は強すぎる暖房で車窓が白く曇る。どうしても適温に調節することができない阪神電車に、関西に住んで三年目にも入ると愛おしささえ感じるようになり、私はあらかじめ持っていた薄手のカーディガンに腕を通した。

 

半同棲している男の子は、同じ部署の人たちと奈良にキャンプに行く準備をしていた。私が誕生日に買ってあげたポーターのボストンバックは、久しぶりにその役目を果たすためいささか無理な量の荷物を飲み込まんとしていた。別にキャンプなんか好きじゃないし、少しもうらやましくないけど、縁もゆかりもない土地に配属された私にとって、土日丸々遊ぶ相手がいないのは寂しいものだった。土日をひとりきりで過ごすのは久しぶりで、久しぶりに気合を入れた掃除と洗濯にとりかかったが、それも土曜の昼過ぎには終わってしまった。掃除と洗濯で土日を費やすにはあまりにもレオパレスは狭い。

 

仙台の同じ高校に通った同級生が1人だけ尼崎にいることを思い出し、彼女に連絡を取ってみた。仙台で机を並べた私たちが(横ではなく前後だが)、難波の喫茶店で会うのはなんとも感慨深いものがある。彼女も尼崎には慣れてきたようだし、年上の彼氏とも婚約をしたらしい。ついに私たちもそんな年齢になったんだねと言うと、もう24歳だもんと彼女は微笑んだ。私はもう25歳だし(4月生まれ)、婚約の匂いは全くない生活を謳歌している。

 

まるで私が一人になったのを見計らったように、彼女以外からも三人の友人から婚約の知らせや結婚式の招待をしたいという旨の連絡が入った。あまりに立て続けにくるので、自分が結婚の神様にでもなったんじゃないかと思った。本当におめでたい気持ちと、立て続けに人の幸せを見せつけられたことによる疲労が半々だった。日曜の夜になっても彼氏は帰って来ず、私は冷蔵庫に今年の頭からぶちこまれてすっかり冷え切ったビールといつ買ったか分からない柿の種を晩ご飯の代わりにしながら、スマブラに明け暮れていた。もう25歳だというのが未だに信じられなかった。自分が子供の頃に思い描いていた25歳は、少なくとも柿の種を食べながらスマブラをする25歳ではなかった。でも、なんだかんだ言って私は今の暮らしが好きか嫌いかといえば好きである。ただ、30になる前にはもう少し大人になれていたらいいなと思う。多分今とそんなに変わらないんだろうけど。