祈り

あまりにも正月らしくない正月だった。正月にしては暖かすぎるし、酷いニュースが多すぎる。

帰省中に学生時代の友人四人と会った。一人は妊娠しており(妊娠祝にジョンマスターオーガニックのオイルを渡した)、一人はマンションを買ったらしい(引越祝は今治タオルがいいと言われている)。一人は昨年会社が倒産し(一緒に初詣に行き神頼みした)、一人は夫婦仲に問題を抱えていた(話を聞くしかできることがなかった)。みなそれぞれの人生を歩み、それぞれの悩みを抱えているようだった。自分だけがうまく人生をすすめられていないように感じた。このまま帰るわけにはいかないという使命感が芽生えた。

帰省最後の一日は誰にも会う予定を入れなかった。母親と近所のショッピングモールまで歩いて買い物に行った。今年はあったかいねえと母が7回程繰り返し、その度にそうだねえと返事をした。地元は京都とは反対に着実に人口が増えているらしく、道すがら建設途中のマンションを何棟か見かけた。職人さんたちが正月だというのに黙々と作業に取り組んでいて、もうじき仕事が始まる自分の姿に重なった。
母親が仕事に行くというのでパート先のスーパーまで見送った。スーパーの上には大学時代にアルバイトをしていた個人経営の喫茶店があったが、生憎まだ正月休みだった。2kmほどの距離なので地下鉄は使わず徒歩で帰ることにした。町はまだ正月休みで閉まっている店が多かった。道には人が少なく、ひなたで野良猫が気持ちよさそうに寝そべっていた。確かに平和だった。

ドラッグストアでシャンプーの詰め替えとティッシュとトイレットペーパーを買った。残り少なかったシャンプーを詰め替え、空になったティッシュの空き箱を捨て、新しいティッシュをセットした。トイレットペーパーはトイレの棚に並べた。帰省中に会った友人たちにはラインで写真を送った。みんな悩みはあるだろうけれど、一瞬を切り取った写真の中では楽しそうだった。これが私にできる範囲の平和への貢献だった。


今年はもう酷いニュースを見ないで済むことを願う。

レモンケーキ

秋になるとどうにも寂しい気持ちになる。
恋人の有無とか友達との予定とか、そんなの関係なく、なんというか、とにかくやるせない気持ちになる。気温が下がって、冷たい空気が服の隙間からするりと入り込んで物理的に体を冷やすのと同時に、心まで冷たくしてしまうような気がする。でもきっとそれだけが原因じゃない。

同居している彼氏とは先日一年記念日を迎えた。出会ったのは去年の七月の終わりだったから、彼と過ごす二度目の夏を終えたことになる。去年の今頃は一年後御池で一緒に同棲するなんて想像もつかなかった、と私がいうとおれもだよと笑った。エースホテルの三階のイタリアンは宿泊しているであろう外国人の集団しかおらず、月曜日から記念日を祝っている男女は我々以外には見当たらなかった。外国人は体温調整機能が我々とは段違いに発達しているようで、屋内席が空いているにも関わらずわざわざテラス席でビールをおいしそうに飲んでいた。半数以上が半袖だった。ウェイターはあまりにラフな格好なため最初客と見分けがつかなかったが、目があった瞬間颯爽と歩み寄ってきたことでほっとした。彼氏がコースの内容を決めた後飲み物のリストを頼むと、自慢の息子の写真が収まったアルバムをお披露目する親のようににっこりと微笑んでリストを広げてくれた。我々が季節のジントニックと生姜と葡萄のハイボールを頼むと、息子のアルバムを小脇に抱えて颯爽とカウンターに戻り、実は娘もいたんですよと言わんばかりの笑顔でジントニックハイボールを連れてきた。確かに美味しいハイボールだった。料理もおいしかった。どれも西院では食べたことのない味だった。

帰り道に御池通を歩いているときに、このやるせなさの原因がわかった。姿は見えないのに確実に辺りに蔓延している金木犀の匂いだ。これのせいで、過去の記憶がやたら掘り起こされて寂しくなってしまうんだ。尼崎でも東大阪でも同じように金木犀の匂いを幾度となく感じてきた。社会人になってから恐ろしい頻度で住む場所が変わり、勤務地も変わり、時には予想もしていなかった誰かと生活を共にしていたりする。今の生活に不満はないし、不満どころか自分の身の丈にあっていないほど立派な暮らしをさせてもらっている。端的に言えば幸せだった。去年の今頃じゃ考えられなかった。ということは来年も今とは予想もつかなくなっているんだろうか。この穏やかな日々が来年もし消え去っていたらという恐怖が、金木犀の匂いとともに鼻腔から体内に散りつもっていった。

家に帰ってから誰かこんなこと歌ってたよなと思って検索したら、きのこ帝国が歌っていた。ちょっと救われた気がした。

土曜日は散歩がてら河原町のBALへ行った。無印良品週間だったので店内はひどく混雑していた。金木犀ディフューザーは完売だった。若いカップルが立ち尽くしており、どこの店舗にも無い、と落ち込む彼女を彼氏が慰めていた。彼らを横目にお目当てのウッディのディフューザーを持ち帰った。悩んだ末にトイレに置いた。彼氏が出張から帰ったときに、リビングが違う匂いだと嫌かなと思ったから。トイレに置いてから、彼が―私にとっての金木犀のように―ウッディの匂いに何か思い出があるかもしれないという可能性に気がついてしまった。なにもないことを祈る。

たのしいおすしやさん

「コロナが出ました」と彼女は言った。つい数分前に私の鼻に突っ込んだ綿棒を調べて粘膜検査している最中だった。陽性ですねとか、コロナですねではなく、コロナが出ましたと言った。お化けじゃないんだからと思ったが、今日初めて会った看護師相手に文句も言えないので私は申し訳なさそうに肩をすくめた。流れるように医師の説明を受け、薬を持たされ、正面口ではなく裏の勝手口みたいな細いドアからお大事に、と帰された。何も言わないのはあまりにも可哀想だから仕方なく付け加えました、と言った感じのお大事にだった。細い裏通りに突然降り立った私を、猫が困ったように見上げていた。猫にさえ可哀想に思われているようだった。

最初の二日は高熱にうなされていたので、嫌な夢を見ては起きるの繰り返しだった。得意先の電話を取っていたり、試験に追われたり、試合でミスをしたり、学校で忘れ物をしたり、嫌な記憶が時系列もはちゃめちゃになって雪崩こんでくるような夢だった。シーツは自分の嫌な汗でぐっしょりと濡れた。なんとか熱が下がったタイミングで廊下を這うようにして歩き、シーツと枕カバーとタオルケットを洗濯機にぶちこんだ。冷房をがんがんにして洗濯物を乾かす間は、予備のタオルケットで体を包み椅子に縮こまった。何かの罰でも受けているように感じた。

後輩と彼氏が食糧を買ってきてくれて、アパートの玄関前に置いてくれた。正直誰かにお願いをするという行為が激しく苦手な私にとって、なにも言わずとも行動に移してくれる彼らの存在はとてもありがたかった。後輩の袋にはゼリーやお粥に混じって知育菓子が入っていた。私のことを赤ちゃんだと思っているらしい。彼氏の袋には果物やポカリに混じって400グラムの冷凍ちゃんぽんが入っていた。元気な時でも食べれないだろう。二人の買って来てくれた食糧を冷蔵庫にしまいながら、ツッコミが出来るくらいまで回復したことにちょっと感動した。

神戸

珍しく何も予定のない日曜だった。空は雲が垂れ込めていて、隙間から若干の青空が見えると言う具合だった。一か八かという気持ちで洗濯物を干した。後輩の女の子から連絡があり、今日の予定を尋ねられた。何もない、今洗濯物を干しているところだと伝えると、神戸へ行きませんかと誘われた。もうすぐ知人が亡くなってから半年なのだと彼女は言った。まだ行ったことはないけれど、神戸の高台にお墓があるらしい。あれからー彼女の知人が亡くなって、二人で泣いた綺麗な夕焼けの日からーもう半年が経つのだ。時の流れは年々加速していくように感じる。

京都から神戸までは彼女の白いBMWで向かった。高速に乗ると突然の豪雨に見舞われた。フロントガラスに大粒の雨がたたきつけられ、車内はさながら銃撃戦のような音に包まれた。洗濯物…と絶望した顔で私が呟くと彼女は赤ちゃんのように手を叩いて笑った。京都を出たあたりで雨は上がり、うってかわったように日差しが照りつけた。彼女は良かったですねと言い、片手をハンドルにかけたままもう片手でサングラスを掛けた。女の私から見ても惚れ惚れするほど無駄のない洗練された仕草だった。

高速を降りてすぐのコーナンに寄った。郊外らしい敷地面積のコーナンだった。立体駐車場にはひっきりなしで車が吸い込まれていき、なぜこれだけ大勢の人間がコーナンに押し寄せるのか意味がわからなかった。店内に入ってすぐコーナンの匂いがすると私が言うと、彼女もわかりますと同意した。仏花を二束と線香とマッチを買った。
墓地はとても広かった。区画ごとにアルファベットと番号が振り当てられており、墓を探す二十代女二人組はどう見てもドームで自分の席番を探すアイドルオタクにしか見えなかった。墓を見つけ、水差しに水を入れて花を挿した。風が強く吹いていたので、私が手で覆って彼女がマッチを擦った。火は勢いよくつき、線香を傾けた。一瞬激しい赤い光が点滅した後、煙が細く立ち上った。手を合わせて、ついに一度も会えなかった故人に思いを馳せた。

あなたがいなくなってからしばらくは、本当に大変な日々だった。後輩は一人でいたくないと言い、毎日一緒に夜ご飯を食べた。丁度日本シリーズの時期で、会話には困らずに済んだ。月曜から水曜は近所の居酒屋で、木曜金曜は私の家でテレビを見た。日本シリーズはシーズンをろくに見ていない人間にも平等に面白かった。夜ご飯の時は楽しそうにしていても、ふとした瞬間にどうしても悲しみに襲われることは多々あった。一度仕事中に過呼吸になった彼女から呼び出されたこともあった。社用車の運転席で、薄い体を折りまげ、吐く様にして泣いていた。窓が閉まっているのに彼女の泣き声が聞こえた気がした。見ているだけで辛くなる泣き方だった。背中をさすり、水を飲ませた。賢い忠犬のように、車の外に座り、じっと彼女の側に寄り添った。会ったことがないのに、こちらまで悲しくなるような死は初めてだった。彼女の体験を通して、私は自分の好きな人が死んだらという恐怖をどうしても見つめざるを得なかった。

彼女から故人の話が出る様になったのは、つい最近だ。半年かけて、死は我々の生活に馴染み、溶け込んでしまった。死は生の対極ではなく一部なのだという事実がそこにはあった。

目を開けると、青い空とグレーの墓石と赤や黄色の仏花が目に眩しかった。なんだか夏休みみたいだなと思った。後ろを振り返ると神戸の海とビルの群れが見えた。ここなら故人も寂しくないだろう。我々は車へともどった。

帰り道の喫茶店でプリンとコーヒーを食べた。嘘みたいにおいしかった。家に帰ると洗濯物は濡れていた。そんな日もある。

若者のすべて

今日は入社してから幾度となく繰り返してきたよくある模範的金曜日のはずだった。夕方から電話の数がだんだん減って、五時半からの会議に向けてみんながやれやれと思いながら準備を始めているのが感じられた。なんだって金曜日に会議なんかやるんだろう。
私も準備するかと重い腰を上げた時、社内の後輩の女の子からチャットが来て、明日の予定を尋ねられた。三年ぶりに行われる時代祭-京都ではそこそこ有名な仮装行列のお祭りだ-に行きませんかと誘われた。京都らしいことしたくって、と彼女は言った。予定なんかないしあってもキャンセルするにきまってると返事した。後輩の女の子は一個しか歳が変わらず多分私のことを先輩とは思っていないので、結構な頻度でタメ口をきくし、平日に突然飲みに誘ってくるし、ソフトボールの試合だとかミッフィーの展示会だとか、私の知らなかった-だけど絶対私が好きなところ-にいつも連れ出してくれた。私はそんな彼女が大好きだった。
しかし彼女の誘いは小一時間ほどで消し飛んだ。再び来た彼女のチャットには、たった今知人の訃報があり、明日行けるかわかりませんと端的に書かれていた。今どこにいる?と聞くと、あと五分くらいで会社に戻るところだと返事が来た。いつもろくにつかってない脳味噌がフルスピードで動き、上司に後輩が生理痛で死んでいるようなので迎えに行っていいかとこっそり相談した。理解ある上司ですぐに了承がもらえた。上着スマホをつかみ外に飛び出すと、目を真っ赤にした彼女が立ち尽くしていた。私達は泣きながら抱き合った。

最寄りのコンビニまで歩きながら、彼女は訥々と訃報の内容を語った。彼女が親しくしていた高齢の男性が今朝亡くなったとのことだった。私も幾度となく二人の仲の良さを聞いていたし、彼が沖縄料理の店をしているとのことでいつか絶対連れて行きますと言われていたこともあった。早く行けばよかったと思った。ホットの綾鷹紅茶花伝を買い、二人でそれを飲みながらゆっくりと歩いた。秋特有のすこんとした高さのある夕暮れの空が綺麗だった。いつもそんなことしないんですけど、と彼女が口を開いた。いつもそんなことしないんですけど、今朝は空が綺麗で撮っちゃったんですよね、と続けた。だからですかね、と赤い目をして彼女が困ったように笑った。上手い言葉が言えなくて、私達はまた道端で肩を寄せ合って泣くしかできなかった。

会議の途中で彼女は早退した。葬式の日程がわかったら連絡しますとチャットが来たけれど、何も気にしなくていいと返事した。

会議の後、同期の誕生日会のために大阪へと向かったけれど、食事の際もどこか集中できなかった。京都に戻れたのは十一時頃だった。大阪から京都に帰ってくると、体感で五度くらい寒いように感じた。冷たい空気を裂くようにして自転車を漕いでいる時に、もやもやの正体がなんとなく分かった。それは、たとえ面識がなかったとしても、好きな人の好きな人がいなくなってしまうことは想像以上に辛いということだった。どこかから金木犀の匂いがする夜だった。秋が終わろうとしていた。

上海蟹の朝

現実的な一日だった。そういう一日がある。現実的になって現実的な処理を現実的にしなければならない日。

洗濯機を回している間に筋トレと掃除機がけを済ませる。洗濯物を干して化粧をし、阪急で烏丸へ行き美容院で髪を切る。それが終わると真っ直ぐ下京警察署へ行く。カウンターにはおよそ警察官らしくない外はねの茶髪の女の子が座っており、いまは昼休みなんで次は一時からっすね、と教えてくれた。じゃああんたはいま何のためにカウンターにいるんだと言いたくなる気持ちをこらえて礼を言う。近くのヴェローチェで暇を潰す。一時ちょうどにもう一度警察署へ戻り、大阪の同棲していた時の住所から今の京都への住所へと書き換えの手続きを済ませる。免許証を受け取り大丸へ行く。週末に会う友人への結婚祝いに、シロの柔軟剤と洗剤を選び包装してもらう。阪急で最寄駅へ戻る。自宅近くのショッピングモールの中の歯医者へ行く。クリーニングと定期検診を受ける。ショッピングモールの中のスーパーで買い物をして自宅へ戻る。洗濯物を取り込んで畳む。シーツを洗い立てのものに付け替える。スーパーで買ったものを開封してあるべき場所へおさめていく。(マスクを玄関のマスク入れへ、糸ようじを洗面台へ、洗面台を整理して空いたスペースにマウスウォッシュを置く)
週末家を空けるため冷蔵庫にあるものをぶちこんでシチューを作る。職場でもらったフランスパンとシチューで晩御飯にする。週末の旅行のパッキングをする。
ここまでするともう夜になってしまった。月に一日しかない有休は、おもいきり遊びに使ってしまうかこういう現実的な処理をしてしまうかのどちらかになってしまう。ちなみに来月の有給は会社のおじさんに付き合って登山に行く。同い年の友人は皆結婚したり子供の世話をしていたりするのに。とても二十八歳の女が使う有休の使い方ではない。何かが激しく間違えている。

先週は近所の男の子ーアプリで会った烏丸のフリーランスwebデザイナーだーと遊んだ。レンタカーのマツダ2を走らせて滋賀へ行った。タオルも持っていないのに琵琶湖で足を濡らして笑った。車内でいろんな音楽を流しては一緒に口ずさんだ。くるり琥珀色の街、上海蟹の朝がながれて私が口ずさむと、彼がこれなんだっけと聞いてきたので教えてあげた。私が知ってる?と聞くと、彼は元妻がよく歌ってたとなんでもない顔で答えた。彼と一緒にいると穏やかな気持ちになれたし、彼も落ち着いて過ごせているように感じた。でもこの平穏は出口のない堂々巡りのような関係の上に成り立っていることも同時に感じた。
タイムズの駐車場へ車を返すと当たり前のように私の家へ来て、当たり前のように泊まった。当たり前のように月曜が来て、当たり前のように私は出社しなければいけなかった。眠たそうな彼をたたきだす勇気も無く、テーブルの上に合鍵を置いた。返すのは今度でいいと言うと、彼はありがとうと微笑みそのまま寝てしまった。
家に帰ると彼に貸した部屋着とタオルケットがきちんと畳まれてあった。いつも私が着ているお気に入りのドラえもんのTシャツは、きちんと畳まれるとまるで私のものでは無くなってしまったように見えた。

現実的な一日はどうしても現実的なことばかり考えてしまう。彼は現実的に将来の無い相手であることは明らかだった。何かが激しく間違えている。ただ、今日のような有休を誰とも会話せずに終えていくのはどうしても寂しかった。心の中で、玄関のドアがかちゃりと開いて彼が入ってきてくれたらいいのにと願ってしまう自分がいた。どれだけ眺めてみても、ドアは冷たく無言のままだった。

琥珀色の街

起きると既に昼直前だった。ポジティブに考えるとぎりぎり午前中には起きれているから良しとする。お盆二日目にして今日は誰とも会わないし何をする予定もない、自由な日だった。曇り空だけれど贅沢は言えないので(なにしろ台風が近づきつつある)シーツとタオルケットを洗濯した。アマプラでコーダあいのうたを観てちょっとだけ泣いた。母親が誕生日なので電話をかけた。といっても一昨日も昨日も電話しているので特に話すことはない。五十歳だっけと聞くと四十八よ!と真剣な声で返してきた。二十年くらい四十八で止まっている気がする。母親はいくつになってもかわいい。今日は誰にも会う予定がないとこぼすと、母はそれが一番正しい過ごし方なのよとけらけらと笑った。母は一人で二回もキングダム2を観に行ったと自慢気に話した。吉沢亮は何回見ても顔が良い、ぼやぼやしてると2はそんなに面白くないから終わっちゃうわよと教えてくれた。長くなりそうなので丁重にお礼を言って電話を切った。

お腹が空いていることに気がついたので昨夜つけておいたゴーヤの浅漬けを食べた。ひとつ食べると途端に食欲が爆発した。俄然やる気が出てきたので、ずっと行きたかった近所のケーキ屋へ歩いて行ってみることにした。五条通を横切って欅の並木道を突き進む。蝉の大合唱に怯えて日傘をさす。昔はなんとも思わなかったけれど、これだけの数の蝉がいると考えると恐ろしく感じるようになってしまった。引っ越して約三ヶ月経ち、徐々にこの町にも慣れてきた。梅雨にお世話になった乾燥機のあるコインランドリー。JR東海とモーニングを食べた小川珈琲。後輩に奢らされたラーメン屋。接客が最悪だったので行くのをやめた美容院。なかなか思い出も増えてきた。
二十分程で目当てのケーキ屋についた。ケーキは売り切れだったけれど、焼きたてのマドレーヌが並んでいた。まだあたたかいマドレーヌを受け取り、今きた道を引き返す。少し前まで京都に住んでマドレーヌを買うなんて誰が想像しただろう。去年の今頃は、はじめたばかりの同棲がうまく行かずに毎日泣いていた。人生いろいろある。

家に帰ると久しぶりに豆を挽いてきちんと珈琲を淹れた。洗濯物はちゃんと乾いていた。シーツをベッドに敷くと柔軟剤の匂いがした。誰とも会っていないけれど確かに正しいお盆の過ごし方の気がした。