コンテナブルー

JR大阪駅の中央改札口前は、待ち合わせをしている人々で混雑していた。私は大きなトートバッグを両手に抱き抱えて人の波を縫うようにしてその中を通り過ぎた。551の前あたりで、おそらくアプリで出会ったであろう男女が敬語で話しているのが聞こえた。かつて私も同じ場所で同じように男の子と出会い、そしておそらく今日が彼と会う最後の日だったのだろうと思う。そういうことって大抵後々になってから、あああれが最後だったんだなと気付くと思うけれど、今回は最後なことが前からわかっていた。私はまた会える?と口にし、彼は日本にいるんだからいつかは会えるよと返事した。私の欲しい答えはそんな答えじゃなかった。もし次に男の子と遊ぶとしたら-いい加減そんなことをしている年齢じゃないのだけれど-鉄道会社の人間だけはやめておきたい。


土曜日は快晴で気温も高く、ゲレンデの雪はあちこちで若干溶けはじめていた。空は気持ちいいくらい何にもない晴天だった。私が今年はスノボなんてしないと思ってた、と言いながら不器用にビンディングをいじる横で、こっちは三年振りだよと彼が苦笑いしながら慣れた手つきで既に準備を終えていた。初めのうちは私が先に滑り終え後ろを振り返り待っていたのに、一番下まで滑り終える頃には彼はあっという間に感覚を取り戻して私を抜き去っていた。リフトの待機列で彼を見つけて、黙って突然上手くなるのはやめろと抗議すると大笑いしていた。リフトに乗る間、私たちはお互いの特技について話し合った。私自身は趣味こそあれど特技なんて思い付かなかった。ピアノなら少し弾けたけど、安アパート住まいの今となっては指が動くか確かめることすらできなかった。彼は少し悩んでからヴァイオリンが弾けることくらいかな、と話した。なんだって?という私の間抜けな声が雪山に響いた。三歳の頃からヴァイオリンを嗜んでおり今でもまだ弾けるはず、といういらない補足がついた。やれやれとしか言いようがなかった。何一つ私より劣っているところが見当たらなかった。そんなはずないから考えてみなよ、と彼がどうせ思ってもいないであろうフォローをしてきたので悔しくて必死で考えてみた。リフトが終わる間際になって絞り出すように、部屋が綺麗、というと、彼は「それは生きる上で一番必要な特技だ」と頷いた。


翌朝は近くの喫茶店でサンドイッチのモーニングを食べた。以前フレンチトーストを食べた喫茶店で、今回が二回目だった。卵とトマトのシンプルなサンドイッチは私が今まで食べたトマト入りのサンドイッチで確実に一番美味しかった。自慢じゃないけれど私は大抵のトマトが食べられない(本当に自慢できない)。こんなにおいしいサンドイッチがもう食べられないなんて、と私がいうと、彼がメニュー表を裏返しながら尼崎つかしん店がある、といらない情報をくれた。

茶店から歩いて帰る道中は、私のささやかな文句に終始した。こんなにころころ異動するのが初めからわかっているのならアプリなんかしなければいい、どうせ遊ぶつもりで始めたのなら同じ女と何度も遊ばないで数をこなせ、というのが私の主張の概ねだった。育ちのいい人間の多くがそうであるように、彼は私の文句を否定せずにそうだねと微笑んでいた。こんなに一緒にいてらくちんできちんとお金も払う女はなかなかいない、当たりの部類に入ると私が冗談まじりにいうと、彼は大当たりだったと肯定した。そんな都合のいい女の当たりになんてなりたくなかった。


岸辺駅から大阪駅まで電車に乗っている間に貨物のコンテナがたくさん積んであるのが見えた。JR貨物は東海とは別会社にあたり、吹田のターミナルが一番大きいのだと教えてくれた。Wikipediaにはその情報の他にコーポレートカラーがコンテナブルーと明記してあった。JRは地域でコーポレートカラーが違い、東海はオレンジなのだそうだ。JRのロゴが地域によって違うことを初めて知った。思い返すと彼はいろんなことを教えてくれた。(コーヒーの最適温度は90度、ゴルフはなぜ18ホールなのか?)

私が彼に教えたことといえば、ジョイマンで一番好きなフレーズが世界中チェ・ジウということ、やさしいズというコンビの牛丼最強理論というコントが面白いということくらいだった。幸いにも彼はどちらにも大笑いしていた。車窓に映るスシローを見てサイゼリアがあるよと私が言うと、彼は少年のように笑っていた。


新大阪につき、彼が先に電車を降りることになった。思い返すと彼を見送るのは今日が初めてだった気がした。九月からほぼ毎月会ってたのにこれが最後の日だなんて実に皮肉なこともあるもんだなと他人事のように思った。降りる前に手を振り、電車を降りてから一度振り返り、ホームへと上る階段でもう一度振り返った。手を振る彼が車窓に流れて小さく消えた。大阪に着くとなんでもいいから買い物がしたくなった。ルクアの地下のスリーコインズで青い皿を買い、グランフロント北館の無印良品洗顔スポンジと高保湿化粧水とマイルドクレンジングオイルを買った。阪神電車に乗ると、余計なことを考えないように車窓にうつる文字に意識を集中させた。阪神住建、馬渕教室、馬渕個別、にしてつ、世界の大温泉スパワールド。左門殿川に差し掛かると実家に帰ってきたような安心感に包まれた。ここ三日間音楽を聴いてなかったことにふと気がつき、ワイヤレスイヤホンを耳にさした。とにかく適当な音楽を聴きたかった。プレイリストのランダム再生を選ぶと、藤井風のさよならべいべという歌が流れてきた。こんと思った時はすぐに来た、という出だしの歌詞が驚くほど胸にぐっさりと刺さった。涙がぼろぼろ落ちてマスクが冷たく濡れていくのを感じた。向かいに座っていたクールな高校生くらいの女の子-筋肉質に痩せていて、冬だと言うのに綺麗にこんがりと日に焼けていた-がおそらくスマホゲームを終えて横から縦画面に持ち替えた時に、正面の大の大人が泣いているのに気がついてぎょっとしているのが分かった。でも自分でももう抵抗のしようがなかった。私は音も立てずにただ静かに目から涙をこぼし続けていた。本当に悲しかったのは、泣くほど彼が好きだったというわけでなくて、将来への漠然とした不安からその涙が流れているということだった。


三日ぶりに帰った安アパートは、自分で言うのもおかしいけれど、綺麗で落ち着いた。金曜に使った弁当箱と皿は綺麗に洗われて吸水マットの上できちんと乾いていた。布団もたたんであり、拭かれた床やテーブルが日に照らされていて穏やかに光っていた。そのどれもが金曜の私が無意識にしていたことの産物だった。部屋が綺麗という苦し紛れに絞り出した自分の特技にまさか助けられるとは思わなかった。もう涙は出てこなかった。この先一生ひとりかもしれないけれど、綺麗で落ち着く自分の家があるというのは-世間一般的に見ればあまり家庭環境が良くなかった私にとっては特に-とても幸せなことであるように思えた。


文章を書いている途中で、もしかしたら私は文章を書くことが特技なのかもしれないと思ったので、後半は意図的に実際にした会話に忠実に書いてみた。分からないことがあるとよくネット検索をする彼が、もしかしたらこの文章を見つけるかもしれないので。私のささやかな当て付けが誰かにとって面白い文章でありますように。