マイナス6.5

恋人に別れを告げられてちょうど一週間が経った。馬鹿みたいに暑くて日陰なんか一つもない鳴尾浜臨海公園で、我々は話し合いとも呼べない平行線な意見の押し付け合いをした。でもこんなのどちらかが折れなければ終わらないのだ。大抵の場面–というか往々にしてほぼ全て–意見がぶつかる時は私が折れてきた。今回も私が折れるしかないし、私はどうしても人の意見に負けてしまう性分だった。その足で彼の家に行き、三年間ため込んだ私物を分別した。三年間ため込んだ私物は、ゴミ袋二つと紙袋三つに綺麗に収まった。最後くらい甘やかせて、といい後ろから抱き締めてもらった。本当に髪が短くなったね、という彼に、本当は短い髪でたくさん旅行に行って写真撮るつもりだったのに、と努めて明るく返すと、首筋に冷たいものを感じた。振った側が泣いてんじゃねえよ。


久しぶりに訪れた梅田はたくさんの人々でごった返していた。社内の先輩の誕生日祝いのために選んだホテル阪急のレストランも混雑していたら嫌だなと思ったけれど、そんな心配をよそに当のレストランはかなり空いていた。野生の猛禽類のように広大な視野を持つウェイターが、適切なタイミングで適切な料理を運んでくれた。料理も申し分なく、内装も綺麗だった。丁度一年ほど前に私を苦しめた大口現場で、こんなに落ち着いた気分で食事ができる日が来るなんて思わなかったと愚痴をこぼすと、先輩はけらけらと笑った。


大丸梅田に行き、ダブルスタンダードで先輩の試着に付き合った。店員の女性とは下の名前で呼び合うほど仲が良く、前回なにを買ったか把握されているあたりかなりの常連なことが伺えた。たくさんの商品が女性から先輩へ手渡され、怒涛のファッションショーが始まった。変形ペプラムのトップスと、共生地のプリーツスカートがとても綺麗だった。女性が首尾良く持ってきたバックジッパーの細身のショートブーツが、その服のためにあつらえた様にしっくりと似合っていた。先輩がこれで、と言うと女性がにっこりと微笑み、手品師がトランプを綺麗にまとめるようにあっという間に一連の服がショッパーに収められた。流れるように十万弱の会計が終わった。見ているだけで気持ちの良い買い物だった。


先輩を見送った後、自分の買い物のためにルクアへ向かった。眼鏡屋には買う気なんかこれっぽっちもないであろう女の子の集団と、装苑に載っていそうなカップルと、フェスで出会ったであろうカップルがいた。新商品や売れ筋の棚は人がごった返していたので、端の低価格帯コーナーでいくつか眼鏡をかけてみた。どれもしっくりこなくて首を傾げていると、塩顔で体毛が濃いタイプの店員に声をかけられた。お選びしましょうか、と言われ反射的にこれで!と持っていたそんなに気に入ってない眼鏡を差し出してしまった。あっという間に視力検査にうつり、ひらがなを幾つか読み上げて、自分の視力がさらに落ちていたことが分かった。1.0見えるように作ると度数がきつくて疲れてしまうかもしれない、と説明を受けたけれど、クリアな視界を取り戻したかった。このままで作ってもらうことにした。


今は作り上がったばかりの眼鏡を掛けている。久しぶりに視力1.0で見る世界は濃く、鮮やかで、ちょっと頭が痛くなった。早く慣れたらいいのに。