続き

新浦安の朝は暑かった。7時には既に太陽の光と熱が部屋の中で圧倒的な存在感を放っていた。私は普段見ることのないめざましテレビと、部屋の主である友人が化粧をし、髪を整え、服を着替える様子を代わりばんこに眺めていた。私が夜歯ぎしりをしなかったかどうか確認すると、彼女は三面鏡から顔を上げずに、おそらくしていなかったと笑いながら答えた。それきり私たちは何も話さなかったけど、部屋の中の沈黙は、お互い気を遣って話さなくとも良いのだという安心感のあるものだった。
スーツに着替えた彼女は、午前中に速達を出してくれだの部屋の鍵はきちんと掛けろだのエアコンは付けてもいいけど消してくれだの、私が止めない限り永遠に続くかと思われるほど細々とした注意をした。私は全てにウンウンと返事をし、玄関まで彼女を見送った。友人に行ってらっしゃいと言うのは、とても新鮮でかつ良い気分だった。
持ち主の居なくなった部屋で普段見ないテレビを見るのは、良く出来た夢なのではと思うほど現実味に欠けていた。チャンネルを替えて普段見ている番組にすると、少し落ち着いた。昨日から珈琲を飲んでいなかったので、コンビニに行き珈琲とパンを買った。珈琲を飲み、昨日新浦安のイオンで買った下巻を読む時間は穏やかで、あっという間に郵便局に行く時間になってしまった。身なりを整えると、私は友人に忠告されたようにエアコンと施錠を指差し確認して家を出た。

やるべきことを終えると、真っ直ぐ帰宅して(どこかに立ち寄る気も失せるほど新浦安は暑い)、内側から施錠し、靴を脱ぎながら服も脱ぎ、全裸になってすぐにエアコンをつけた。勝手に冷凍庫からアイスを拝借し、ぼんやりとテレビを眺めているうちに、なんとなく罪悪感に駆られて何かしようと思い立った。でも流しに洗うべき皿はないし、部屋は程よく片付き程よく散らかっていた。テレビを消すと、選挙カーのウグイス嬢の声や犬の鳴き声が遠くから聞こえてきた。日曜日かと思われるほど穏やかな空気が流れていて、下手に何かするよりもあと少しとなったこの穏やかな時間を有効に使う方が良いと思われた。有効に使うというのはつまり、人の家でタオルケットにくるまってエアコンをガンガンに効かせながら下巻を読むということである。

日記

福島の道路は濡れていて、道行く人の半分は傘をさし、もう半分はささずに歩いていた。雲は梅雨らしく厚くたちこめて、私は傘を持たなかったことをほんの少し後悔した。
新幹線の良い所は、当たり前だけどとにかく速いことだ。椅子に座ってじっとしているだけなのに、2時間と少しもあれば東京に着く。夜行バスを駆使してきた私にとって、これはちょっとしたセンセーションを巻き起こした。もっとも、世の中のほとんどの人はもう何十年も前にその感動を味わったはずだろう。
今日は内定先の人事面談の為に東京に呼ばれていた。私服で構わない、ではなく私服で来い、と明記されていたので、家を出る前に少し悩んだ。結局、就活で着慣れたユニクロの形状記憶のシャツ(アイロンを掛けずに済むというのが売り文句だったけれど、結局毎回アイロンを掛けてしまう)に、黒のガウチョパンツを履いた。良くも悪くも印象に残らないであろう格好だった。新幹線の中は肌寒く、薄手の黒のカーディガンを持ってきて良かったと思うのと同時に、そろそろ色のある服を買わねばならないとも思った。
腕時計の電池交換の為に朝早く家を出たものの、電池交換は5分足らずで終わり、時間を持て余すことになった。喫茶店で食事を取るか、本を買って暇を潰すかを天秤にかけた結果、駅構内の書店で本を買うことにした。本は300頁あったけれど、新幹線に乗って1時間足らずの現時点で既に栞は182頁に挟まれていた。東京に着いたら下巻を買おうと思う。
こうして朝からの出来事を文章にするだけで、時間が潰せるのはありがたい。私は何事も文章にしてみないと物事を理解できない性質だけど、同時に思いついた時にノートを開いてペンを取るのを面倒臭がるくらいにはズボラなので、こうしてスマートフォンの上に指を滑らせるだけで文章が書けるというのは本当にありがたいことだ。いい時代だなと思う。椅子に座っているだけで破壊的な速度で移動できるのも、いい時代だと思う。
窓に水滴が当たり始めた。本格的に降り始めたようだった。時代は進歩して、新幹線は恐ろしく速く走るし、スマートフォンの性能はもはや私が使いこなせないほど発達したけれど、傘だけは何百年も進歩していないように思う。これだけ科学が発達したのだから、傘も折り畳むとマッチ箱くらいの大きさになって、それでいてさしたら全身濡れないようなものになればいいのに。

ルーティン

世間一般の飲み会がどうなのかは知らないけれど、私が友人と飲む時のほとんどはどこで何時間飲むのかは最初は決まっていない。とりあえず集合し(仙台駅前であることが多い)、ふらふらと歩き(たいてい西口のアーケードだ)、それなりの店に入り、それなりに飲み、話がはずめば次の店に移動するし、そうでなければ解散だ。でも、外出する際兄は決まってどこに行き何時に帰ってくるかを聞きたがる。昔からそうなのだ。彼の中で私はいつまで経っても守るべき妹であり、行動を把握すべき対象であり、きっとこれからもそうなのだと思う。正直鬱陶しいけれど、たぶんこの関係は私が就職して家を出てしまえば終わってしまう。そして内定を獲得した今、それはそう遠くない未来のことだと思う。だから私はなるべく、具体的な友人の名前を挙げ、終電前には帰るようにすると口にする。そうして半分くらいの確率できちんと終電前には帰ってくるし、半分くらいの確率で終電を逃すことになる。とにかくこのやりとりに意味はなく、ただ彼を安心させるためのルーティンに過ぎない。

 

先日の飲み会もそのようにして始まった。高校時代の友人二人と仙台駅前に集合し、西口のアーケードをふらふらと歩き、何人かのキャッチに捕まり、その中で最後に声を掛けてきた二十歳の男の子の店に行くことに決めた。もう少しで国分町まで歩いてしまうところでそろそろ店に入りたかったし、価格設定も料理も申し分なかったし、なによりその男の子はかわいかった。料理も酒もおいしかったし、道中で今回は私たち三人の誕生日をまとめて祝うという趣旨を彼に伝えていたため、突然照明が落ちて少しもサプライズではないケーキが運ばれてきて、それを喜んで食べた。そうして3時間ほど飲んでいる間に、私は彼女たちから奔放な性生活について聞かされており、また対照的に全く何もない私の性生活についてなじられていた。彼女たちは私を叱咤激励し、取り敢えず男に会わなければ始まらないと意気揚々と相席屋に行こうとしていた。結局そのあと相席屋に行くことはなく、店を出てすぐナンパに捕まり、彼女たちは二つ返事でそれを受け、私も問答無用でそれに連れていかれた。九州から来たという彼らは日に焼け、サングラスで、短パンで、九州なまりで、とにかく私のタイプから何光年もかけ離れた存在だった。向こうにしてもおそらくそうだったと思う。友人たちはまだ6月の半ばだというのにヘソの出た服を着ており(今それを着たら8月は何を着るのかと訊いたら全裸!と返された)、いかにもナンパされそうな可愛さを持っていた。私は彼女たちのオマケであることは明らかだった。私は家を出る直前まで寝ていて、とっさに着る服が手元に無かったためリクルートスーツ(!)を着ていた。九州男児(42歳)に君はなんでスーツなの、と尋ねられて服が無いので、と答えると、一同は大いに笑った。

 

店を出てからしつこく彼らは後ろについてきた。友人たちは店にいた時の態度とはうってかわって彼らを冷たい言葉ではねっかえし、しまいにはアーケードのど真ん中でしつけえな!と叫んで撃退した。酒代を出してもらった相手に悪いのではと私が聞くと、見ず知らずの女の子と飲めたんだからむしろ感謝するべきだと至極当然のような顔をしていた。なるほどな、と思った。案の定終電は逃していて、どうしようかと悩んでいると、友人が誰かに電話をしていた。数分後には彼女の友人だといういかにもチャラそうな男の子が運転する車が駅前に到着した。彼は友人の電話一本で、午前一時過ぎに駅前まで車を飛ばし、見ず知らずの私を自宅まで送って去っていった。タダで酒を飲みタダで帰宅できたわけだ。なのに少しも楽しくなかった。かわいい女の子は恩恵を受けていて、それなりのルーティン(ナンパされ、ついていき、気に入れば何人かと関係を持つ)を繰り返す。そして私にはそれが縁のない世界であるということを再確認する日だった。

慣れ

慣れとは恐ろしいものだ。数日前に気付いた違和感が、いつの間にか日常として馴染んでしまう。違和感の原因を突き止める前に、本能で感覚を違和感の方へ合わせてしまう。慣れとは感覚における一種の麻痺状態なのかもしれない。

夏風邪をこじらせて声が出なくなったのは3日前のことだった。このクソ暑い最中に風邪をひき、こじらせ、声が出なくなっても接客業のアルバイトに勤しむ姿は我ながらひどく滑稽だった。初めのうちこそ声が出せないもどかしさに煩わされたものの、今ではすっかり慣れてしまった。それどころか、声を出せないメリットすら感じつつある。声が出せないことで、下手にコミュニケーションを取る必要がなくなった。気を使ってこちらから話しかけなくとも良いし、声が出せない人間に積極的に話しかける奇特な人間もそうそういない。慣れるとある種快適さすらあった。

部屋が少しずつ荒んできたのも、靴のヒールがすり減ってきたのも、イヤホンが断線したのも、どこかで必ず何らかの労働に勤しむ毎日も、初めは異変だったはずなのに、今ではすっかり日常として横たわっている。もしかしたら、この声が出せない状態も、日常として根付いてしまうのだろうか。今のところ不便ではないなと恐ろしいことを考えた時、母親から電話が鳴った。呑気な声で、家に牛乳はあるかと尋ねるので無い、ついでにアイスも買ってきてと頼む為に口を開いた瞬間、そこからただ空気が漏れていく事に気が付いた。電話を一瞬で切り、すばやくフリック入力、ものの30秒でメール送信を終えたものの、母親がそのメールに気が付くかどうかは分からない。彼女にとってケータイはいつまで経っても目覚まし機能付きの小さな電話であり、メールを打つことはおろか、受信に気付くことすら大変なことだった。私はやっぱり声が出せないのは不便だなと思い、とりあえず部屋の掃除に取り掛かることにした。

美容院

美容院は苦手だった。苦痛と言ったほうが適切かもしれない。とにかく、美容師というのは明るくお喋りな人がほとんどで(中には苦手なのを無理して頑張っている人もいるのかもしれないがそういう性格の人はわざわざこの職業は選ばないと思う)、私のような陰気なオタクにもかいがいしく話し掛けてくれる。その気遣いがかえって私には苦痛であり、とにかくカットしてもらう一時間、ひたすら興味のないファッション誌の活字を追うことと時折最低限の返事をすることに意識を傾けてやり過ごすのが私のやり方だった。

 

来週に控えた最終面接のために、二カ月ぶりにその苦手な美容院に行くことにした。今回選んだのは自宅から横断歩道を挟んですぐ向かいにある美容院である。家を出てわずか1分で到着すると、茶髪の巻き髪の女性店員さんが見事な接客スマイルで出迎えてくれた。2時に予約をした旨を伝えると、すぐに窓際の席に案内された。日光に照らされた自分の顔は、お世辞にも顔色がいいとは言えなかった。実のところ、今日は本当に体調が優れなかった。ここ最近月経不順に悩まされており、前回は月経が来るのに3ヵ月も空いたというのに、それから1ヵ月も経たない昨日また月経が訪れていた。下腹部に鈍痛が走り、どことなく寒気もしていた。血の気の失せた顔のオタクの背後に、突然爽やかな笑顔の男性スタイリストが現れた。彼の笑顔を見ていると、ますます気分が悪くなった。別に彼が悪いわけではなく、むしろこの爽やかな男性に体中から体調不良による嫌な汗を出した陰気なオタクのカットをさせることが本当に申し訳ないという罪悪感によるものだった。どのようにしますか、と聞かれたので長さは変えずにすいてください、と簡潔に答えると、彼はわかりましたと答えつつ私の髪に手を触れた。そしてその工程の中で、私の耳を触る瞬間があり、その瞬間、他人の手の温かさと自分の耳の冷たさにひどく驚いた。血の気が失せると耳はこんなに冷たくなるのか、そして他人に耳を触ってもらうというのは、これほどまでに気持ちの良いものなのか。驚愕と感嘆と快感がないまぜになった瞬間だった。そのあと何度かまた耳に触れられる瞬間があり、その度に少しずつ体調が回復していくのを感じた。

 

カットはきっかり一時間で終わり、髪型も注文通りに仕上がった。最終面接が来週に迫っていることをカットの工程のささやかな会話の中で伝えており、彼は最後に髪の仕上がりを確認するように後頭部を触りながら、面接頑張ってねと言ってくれた。私は返事をしつつ、後頭部ではなく耳を触ってくれないか内心祈っていたが、結局耳を触ることはなかった。

家に帰ってから自分で耳を触ってみたが、自分ではあの温かさと安心感は得られなかった。苦手なはずの美容院にもう一度行きたいと思ったのは初めてだった。

才能

たった一つだけ私には才能がある。どんなにつまらないアニメでも視聴し続けるという才能である。俗に言われるアニメを「切る」という行為をあまりしない。これはひとえに兄の教育の賜物であると言えるであろう。いち早く私の才能に気が付いた兄によるエリート教育のおかげで、私は中学生のうちには名作と呼ばれる大体の過去アニメの視聴は終えていたし、かつ当時リアルタイムで放送されていたらきすたハルヒ、瀬戸花と言った黄金アニメもしっかりと抑えていた。そうした教育の過程で、「序盤はありえんつまらないけれど尻上がりに面白くなるアニメ」が世の中にはあることを私は知った。彼には感謝しているし、結果としていつかは自分でもオタクになっていたかもしれないが、私は時々オタクではない世界線の自分を想像してならない。

この才能を開花するきっかけとなったアニメが「新世紀サイバーフォーミュラ」である。兄は初めに一言「10話だけ耐えてくれ」と宣言した。それまで彼が勧めてきて視聴が耐え難いアニメに出会ったことがなかった私はその言葉を冗談半分に捉えていた。そして視聴を開始し、気が付いた。このアニメは面白くないと。主人公のハヤトが子供すぎた。人の話は聞かない、一度成長したと思ったらまた元に戻る(この現象がファンの間で病気と呼ばれていることは後々知った)。レースシーンの変形やブーストといった演出には心を鷲掴みにされたものの、いかんせんレースの外の脚本が驚くほど面白くなかった。しかし、視聴することは苦ではなかった。幾度となく私の隣で兄に面白い?と聞かれては面白くない、と返事はしたものの、視聴をやめることはなかった。どれだけつまらなかったとしても、アニメを見ることを苦痛に感じることは無く、これは素晴らしい才能であることをベタベタに褒められた。人生で褒められた経験はこれくらいしかない。

とにかく、序盤のそうした掴みの悪さ、そして玩具の売れ行きの悪さなどの条件が重なり、本作品は全36話で打ち切りとなっている。ところが、終わってからの評価は抜群だった。終盤の熱いレース展開で、メインターゲット外の中高生や大人の評価が高まり、その後OVAとして10年間続く異例のロングランシリーズとなった。私自身、最後まで視聴した後評価は180°変わり、初めて買ったアニメのBDBOXとなる記念すべき作品になった。この経験で、アニメは最初の数話で判断してはいけないという大きな教訓を得ることになり、ひいては最初に述べたどんなにつまらないアニメでも視聴するという才能を開花させることになった。

 

今季その才能をいかんなく発揮している場が、「逆転裁判~その『真実』、異議あり!~」である。元々はカプコンが製作したゲームであり、私自身何時間もかけてプレイしたことのある馴染みの深い作品である。それを無理矢理30分1クールに詰め込んでいるので、脚本はとにかく駆け足で、そのうえアニメーションとして裁判を面白くするために異議や証拠をつきつけると強風が吹くという謎の演出が加えられている。はっきりいって面白くない部類のアニメだと思う。インターネット上ではオタクの批判が痛烈に飛び交い、私はこの件について一切の情報を調べることをやめた。世間の評判がどうであろうと、私自身は毎週わりと楽しみに視聴を継続しているし、とにかくこの才能があってよかったと思う。最近はアニメの逆転裁判を視聴した後、DSで一つ事件を解決するのが一連の流れになっている。現在は逆転裁判3第5話「華麗なる逆転」をプレイしている。今回でおそらく6周目くらいのプレイである。ただ、恐ろしいことに、その5回はしたはずの探偵パートで躓いてもう何時間も先に進めていない。何度やっても楽しめるというのが、このゲームの醍醐味だと思う。もしくは私が著しく学習能力の低い馬鹿だからという可能性も考えられるものの、この件については深くは考えないことにしたい。

就職活動

就職活動をしてから、足の指が醜くなった。具体的に言うと、靴ずれによる傷が絶えず、左足の親指の爪が鬱血している。多分パンプスが足に合っていないのだと思う。22歳になってもいまだにローファーを愛用しており、5センチとはいえヒールのある革靴で長距離を歩くことに、就職活動が解禁してから4ヶ月目に突入してもなお私の足は慣れることが出来ないようであった。

「一つだけ不安なのはね、この適性検査だとちょっと、社交性に欠けてるんだよね」
先日受けた適性検査の回答表をめくりながら、人事は「休みの日とか何してるの?」と続けた。私は直近の休みの出来事を思い出そうとして、喫茶店で皿を洗ったり、スナックでサラリーマンの愚痴を聞いたり、スーパーでレモンジーナの試飲会をしたり、何日かの連勤の記憶を遡ってようやく知人と車で海とバッティングセンターに行ったことを思い出した。確か3週間前の日曜日であった。
少しの事実と過剰な嘘を織り交ぜた私の回答に人事は満足したようで、「ソフト部だったもんね〜」と適当な相槌を打ったあと、「3つもアルバイト掛け持ちしてるから友達とちゃんと遊んでるか不安になっちゃったんだよね、でも楽しそうでよかった!」と笑顔を見せた。私は乾いた笑顔で応じた。バカでブスで女と三拍子揃った私にとって、唯一の武器が愛想の良さであった。次の面接が最終なので頑張って、と言った後に今日の結果は電話でお知らせしますと人事は続けた。頑張ってと言ったんだから責任をもって最終に進めてほしいと思いながら、私は就活サイトに書いてあったとおりに礼をいい、頭を下げ、退室した。足の痛みとは対照的に、面接には慣れつつある自分がいた。これ以上慣れたくない。内定がほしい。

浜松からバスを乗り継いで、仙台に着いたのは土曜日の昼だった。すぐにストッキングを脱ぎ捨て、足の指に絆創膏を巻きつけながら、明日の日曜日の予定を考える。日曜日が休みなのは実に3週間ぶりのことであった。一日中泥のように眠ることにした。