ドライブマイカー

いつもとは反対車線のホームへと階段を降りる。八時前のこの時間は当たり前だけどどの方面への電車も通勤に向かう疲れた顔の大人たちで満員なことに変わりはなかった。適当に二本ほど見送り、三本目にきた各停電車に乗った。車窓から見える空は青く、車内にいる黄色い帽子を被った小学生の群れが、季節外れのひまわりのように見えた。いつもの通勤と同じような服を着て、ローファーを履き(別に平日に限ったことではないけれど)、元彼にもらったアニエスベーの仕事用鞄を手に持ち、いつもとは反対方向への電車に揺られている。今日は、一ヶ月ぶりの有休だった。本当ならこんなに早起きする必要もないし、満員電車に乗る必要もなかったのに。熱い紅茶が詰まっている水筒と、時間潰しのために忍ばせた文庫本のせいで、いつもより重たくなった鞄をもう一度しっかりと持ち直した。


昨日は彼氏が久しぶりに在宅ではなく出社だったので、先に帰ってきたのは私だった。疲れたが椅子に座ると全てのやる気がなくなってしまうので、座らずに晩御飯の支度にとりかかった。彼氏が最近体重を気にし出したので(ちなみに私と体重は二キロしか差がない)、晩御飯はスープや味噌汁だけですますのがここ最近の習慣だった。キャベツと鶏ひき肉の団子で中華スープにした。彼氏が帰ってきたのは十時過ぎで、スープを飲むと開口一番鶏ガラ何杯入れたの?と尋ねられた。目分量だから何杯なんかわからないし、ここで彼が言いたいのは塩辛いということなんだろうなと汲み取った私は、ごめんしか言えることがなかった。彼は何に対して謝ってるの?と聞いてくるが、私からしたらむしろなぜその質問をしてくるのか聞きたいくらいだった。シンクには鶏団子を作った時に使ったボウルを水につけていたが、熱湯消毒しないと意味がない、食中毒になるって何回言えばわかるの?とため息をつかれた。疲れて仕事をして帰ってきて、晩御飯を作って、なぜここまで言われなくちゃならないんだろう。ただ私がずぼらで彼の意見が正しいことには間違いないので、何も言い返せずにティファールに水を汲んだ。水を汲む時でさえ浄水じゃなくて水道水でいいでしょとの野次(ではなくてアドバイス)が飛んだ。やれやれ。ボウルを熱湯につけている間に他の皿を洗っていると、単細胞の脳味噌はつい数分前に熱湯を注いだことを忘れ、うっかりなんの気なくボウルに手を突っ込み火傷した。やれやれ。


翌日-つまり今日-は彼氏は在宅だった。今のところ機嫌はいいが、今日一日で私が何かをやらかして、指摘が入り、機嫌を損ね、運が悪いと喧嘩になる可能性は大いにあった。可能性というか、もはやほぼほぼそうなるであろうという確信でさえあった。私は起きたての頭で、実は今日は有休なんだよねと彼に説明して-おそらくなんで前もって言わないのかと詰められてその後機嫌が悪くなる可能性が高い-そのまま家で過ごすのと、あと三十分で身支度をして家を出ていつもと同じくらいの時間に家に帰るのではどちらが楽かを考えた。明らかに後者の方が楽だった。のろのろと身支度をしていると、彼が紅茶を淹れて水筒に詰めてくれた。水筒はずっしりと重たくて、胸がちくりと痛んだ。


ルクア地下一階のスープストックトウキョウには、店員さんを捕まえてでかい声で世間話をしているおじいさんしかいなかった。モーニングセットを頼み、ボルシチを飲みながら適当な映画がないか探した。長ければ長いほどよかった。なにしろ時間はたくさんある。村上春樹原作のドライブマイカーが九時から上映だった。二時間五十九分の大作だ。素晴らしい。普段なら絶対見ないだろう。

劇場には私以外にはおばさんしかいなかった。この書き方をするとまるで自分が若者のようになってしまうが、私の母親くらいの年代しか見受けられなかったという意味である。彼女達は例外なく数メートル先にいる人を呼び止めるくらいの声量で会話をしていた。上映中も続くのではないかと思うくらい盛り上がっていたが、映画が始まるとピタリと会話は止まった。原作を読んでいたということもあるけれど、それにしても映画の出来は良く、三時間はあっという間に過ぎた。サンルーフを開いて煙草の煙を燻らせるシーンと、大画面で映される岡田将生の綺麗な熱っぽい両眼と、絶望した顔で最中の妻を見上げている西島秀俊の表情が印象的だった。


カフェでコーヒーを飲みながら映画に思いを馳せた。限りなく少数ではあるがこの文章を読んでくれている人に配慮をして詳細は書かないけれど、人と人が分かり合うということの難しさや、その中でどうやってコミュニケーションを取るかについて考えさせられる映画だった。鶏ガラを何倍入れたかは本当に興味本位で知りたかったのかもしれないし、私のやることなすことに注釈が入るのは本気で心配してくれているからなのかもしれない。コミュニケーションは本当に難しい。彼とはもう半年近くそういった行為おろかキスすらしておらず、四月にはお互い家を出ることを仄めかしている。でもきちんとぶつかって話し合いをした記憶はなく、ぶつかることを避けて嘘ばかり重ねている自分に嫌気がさした。これからの未来がどうなるかはわからない。ただ、どれだけ狭くてもいいから、有休を心置きなく過ごせる場所を取り戻したかった。