習慣

酒を飲むのがあまり好きではない。

しょっちゅう会社の飲み会に顔を出すので、大抵の人には無類の酒好きだと思われている。私が会社の飲み会に顔を出すのは、性格が悪く八方美人なので社内のたいていの人に薄く好かれており、とりあえずいると便利という理由で呼ばれているだけなのだ。本当は家には酒なんか一本も置いてないし、酒よりコーヒーが好きだ。でもキャラじゃないので言えない。日本酒やビールが好きなのも、甘いお酒でひどい二日酔いになったトラウマで飲める酒がそれしかないから。でもキャラじゃないので言えない。
先輩に呼ばれればなるべく梅田にも高槻にも顔を出す。どんちゃん騒ぎになって収拾がつかなくなっているあたりでそっと後輩に多めに金を握らせて店を出て、終電で京都へ帰る。そんなことを繰り返していると特に好きでもないのに酒に強くなる。強くなるとあいつは酒が強いし面倒ごとにならないし、また呼ぼうとなる。いらないサイクルでしかない。

ただ、酒を飲んだ次の日はちょっと好きだ。

酒を飲んだ次の日-つまり盆初日の今日ーは、決まって早朝に起きる。時計を見ると六時ぴったりだった。体は冷蔵庫で半年以上放置されていた缶ビールのように固くなっている。タオルケットにくるまりながら、昨日のことを思いかえす。先輩に酒を奢ってもらったお返しにコンビニでアイスを買った。アイスを食べながら駅まで歩き、改札に先輩をむりやりぶちこむ。地上に戻り自転車の鍵をあける。その後が一向に思い出せない。頭を振ってベッドから抜け出す。床には昨日脱ぎ捨てたであろう服が抜け殻のように落ちているので拾い上げて廊下へ出る。洗濯機にそれを投げ入れながら玄関を確認すると、昨日履いていたサンダルが蹴散らかされてなにかのダイイングメッセージのように横たわっている。でもイルビゾンテのキーケースは普段の定位置に置かれていた。洗面所にはコードがコンセントから半分引っこ抜かれたドライヤーがぶらさがっている。でも足拭きマットとバスタオルは浴室の物干し竿に掛けられている。私はそれを見て一種の気持ちよさを感じる。酒を飲んだ次の日は、前日酔っ払った痕跡と、それを乗り越えた習慣の賜物がないまぜになった部屋を見るのが私の楽しみになっていた。あまり大きな声で言える楽しみではない。今日の部屋はやや習慣が弱めなので負け(?)。ベロンベロンになって帰ってきても、いつも通りの部屋に出来たら完全勝利。まだ完全勝利したことは一度もない。

jikanganai

ANA740便 10K列から見える窓の外は真っ暗だった。窓の外を見つめていると激しい悲しみに襲われるので、天井から降りているテレビモニタに意識を集中した。京菓子 金平糖の作り方のビデオだった。伊丹空港からバスで30分ほどで京都へ行ける、と締めくくり、次は北海道 大雪山の紹介ビデオとなった。集中できたのはそこまでで、私はマスクが自分の涙で冷たくなっていることに気が付いた。昔から涙腺は脆い方だったけれど、最近はそれに輪をかけて泣きやすくなった気がする。この帰省で読み掛けだった「アルジャーノンに花束を」を読み終えてしまった。この本には今の自分に刺さるものがありすぎたのだと思う。

 

 

事態の大きさを把握したのは水曜日の朝だった。火曜の夜中に東北で震度六の地震があったとテレビは伝えていた。家族に連絡を取ると、皿が割れたくらいで水や電気は止まっていないし大したことはないと返事が来た。母は数日前に目に帯状疱疹が出来たと話をしていたばかりだった。そんな目で片付けができるのかと聞くと、もうほとんど治りかけているので大丈夫だという。どこかもやもやした気持ちをかかえたまま出社すると、職場の幾人かから地震について心配の声を掛けてもらった。他部署の方からも心配のチャットが来ており、そのうちの一人の先輩に大丈夫みたいです、と返事をすると、まあ親って大丈夫しか言わないよなと返事が来た。その通りだと思った。母に事前に聞くと断られそうなので、黙ってそのまま会社のパソコンで飛行機の予約を取り付けた。土曜日、最低限の着替えだけ詰めたリュックを背負い、朝七時半に家を出て、十時半には仙台空港に降り立った。

 

交通の関係上、自宅に行くより先に学生時代アルバイトしていた喫茶店に立ち寄った。古ぼけていて壁中の本棚に大量の漫画本がぎゅうぎゅうに詰まっていて、地震なんかおきたらひとたまりもないことは想像にたやすかった。マスター達がいなかったらどうしようという不安の中おそるおそるドアを開けると、薄暗い店内から昔と少しも変わらない間伸びした奥さんのいらっしゃいませえという声がのんびり聞こえた。店内は私がアルバイトしていた頃から少しも変わっていない(コロナ対策のビニールシートが垂れているくらい)ように見えた。客は誰もいなかった。カウンターにまっすぐ向かい、大丈夫でしたか?と声をかけた。マスターも奥さんもきょとんとしているので、マスクを外してみるとああ!と驚いた顔をした。しばらく見ないうちに美人になったな、とマスターが無遠慮に笑った。今年の正月に会ったばかりだ。二人は元気なようで、漫画を詰め直すくらいで翌日には営業開始できたのに客が誰も来ないと寂しそうにこぼした。奥さんは私にコーヒーを差し出しながら、カップを置ける縁のついたソーサーがこの一枚だけになってしまって、あとはつるつるのソーサーしか残らなかったのよと苦笑した。私が昔たくさんソーサーを割った気がします、と気まずそうに言うと、マスターがそういやそうだなとまた無遠慮にガハガハと笑った。私が来たのを皮切りに、客足が突然忙しくなり始めたので、コーヒーを飲んだらさっさと帰ることにした。会計は無料だった。私が払うと言っても二人は断り、日曜は忙しいですかねと聞くとそんなこと気にすんな!とマスターは笑った。

 

街はほとんど変わらないように見えたけれど、営業停止している店や、所々に亀裂の入った道が地震のあったことを物語っていた。実家のマンションも、建物根元部分にひびがはいっていて、共有階段には手書きでキケンと書かれた貼り紙が貼ってあった。母は連絡もなしに帰った私に本当にびっくりしていたけれど嬉しそうだった。部屋は普段とあまり変わりないように見えた。流石に割れた皿は既に片付けられていたようだ。正月にプレゼントしていたカリタのガラスポットは奇跡的に無事だった。ガラスポットで早速母がお茶をいれてくれたけれど、お茶っ葉がだいぶ古くなっていて、あんまりおいしくないねと寂しそうにこぼした。私は慌てておいしいよ!とフォローしたが、確かにあまりおいしくなかった。

大きく変わっていたのはリビングの棚が分解されたままだったことくらいだった。組み立て直さないのかと聞くと、また余震で崩れるからと笑った。胸が痛んだけれど、その後鍋敷きや化粧水の場所を聞くと地震でどっかいったねとはぐらかされた。部屋が汚いのを地震の免罪符にするな。

父も私が帰って来たのが嬉しいらしく、晩の食卓には父がスーパーで買ってきた大トロが並んだ。突如押しかけたので晩ごはんは他におでんしかなかったらしく、私のお陰で豪華になったと兄と母は喜んだ。

夜、父と母とテレビを見ていると、父がだいぶ小さく見えることに気がついた。父はおもむろに私に向かってずっと関西でいいのか、結婚しないのかと問いかけた。関西にももう慣れてしまった、結婚はできそうにないと返事をするとガハガハと笑った。マスターみたいな笑い方だった。おじさんはみな一定の年齢を過ぎるとガハガハと笑うのかもしれない。

実家にはフォルクスワーゲンの黒いゴルフがあったのだが、車検に引っ掛かり売ってしまったと母が寂しそうにこぼした。電車でどこか遠出したいという話になり、伊勢神宮に行きたいと父と二人で計画していると教えてくれた。

夜には冷えるからと兄が自前の毛布を貸してくれた。私が仙台についてから余震が止まったと言いながら、母は私に手を合わせた。

 

本当は家族以外には会わないつもりだったけれど、掃除も落ち着いていたので高校の友人と中学の友人に会うことにした。二人とも元気そうで嬉しかった。あっというまに帰りの飛行機の時間になり、私は急いで買ってきた鍋敷きと化粧水とルピシアのお茶っ葉を渡した。引き出しを漁って見つけた封筒にお金を包んで渡すと、父が苦笑いした。父の手にも同じ封筒があった。同じことを考えていたらしい。私たちは笑いながら封筒を交換した。

 

地震はいつどこで起きるかわからない。私が今住んでいる関西でも昔大きな地震があった。父と母は既に六十歳を超えている。悲しいし考えたくないことだけれど、人は必ず老いていく。そして本当にー地震に限らずー人生いつなにが起きるかわからない。日常の忙しさに飲み込まれて忘れてしまいそうになるけれど、時間は無いのだった。今回の帰省で交通費や見舞金合わせて十万円使ってしまった。父と母の伊勢神宮への旅行はいくらあったら足りるのだろう。私の不毛な同棲生活も早く引っ越し先を見つけて終止符を打たなければならない。チャーリィが知力が低下する前に家族に会いに行く描写が自分のすべきことのように感じた。私にはそんなに多くの友人がいるわけではないけれど、せめて帰省で会った人や、できれば会えなかった友人も、そしてなにより家族には、私が生きている間に少しでも何かしたいしそれができるだけの財力が欲しい。締日明けかつ三連休明けの火曜日が地獄みたいに忙しいことは明白だった。今回の帰省が消えかけていたやる気が少しだけ戻るきっかけになったと思う。火曜日から頑張るから、今日は何もせずに泥のように眠りたい

ドライブマイカー

いつもとは反対車線のホームへと階段を降りる。八時前のこの時間は当たり前だけどどの方面への電車も通勤に向かう疲れた顔の大人たちで満員なことに変わりはなかった。適当に二本ほど見送り、三本目にきた各停電車に乗った。車窓から見える空は青く、車内にいる黄色い帽子を被った小学生の群れが、季節外れのひまわりのように見えた。いつもの通勤と同じような服を着て、ローファーを履き(別に平日に限ったことではないけれど)、元彼にもらったアニエスベーの仕事用鞄を手に持ち、いつもとは反対方向への電車に揺られている。今日は、一ヶ月ぶりの有休だった。本当ならこんなに早起きする必要もないし、満員電車に乗る必要もなかったのに。熱い紅茶が詰まっている水筒と、時間潰しのために忍ばせた文庫本のせいで、いつもより重たくなった鞄をもう一度しっかりと持ち直した。


昨日は彼氏が久しぶりに在宅ではなく出社だったので、先に帰ってきたのは私だった。疲れたが椅子に座ると全てのやる気がなくなってしまうので、座らずに晩御飯の支度にとりかかった。彼氏が最近体重を気にし出したので(ちなみに私と体重は二キロしか差がない)、晩御飯はスープや味噌汁だけですますのがここ最近の習慣だった。キャベツと鶏ひき肉の団子で中華スープにした。彼氏が帰ってきたのは十時過ぎで、スープを飲むと開口一番鶏ガラ何杯入れたの?と尋ねられた。目分量だから何杯なんかわからないし、ここで彼が言いたいのは塩辛いということなんだろうなと汲み取った私は、ごめんしか言えることがなかった。彼は何に対して謝ってるの?と聞いてくるが、私からしたらむしろなぜその質問をしてくるのか聞きたいくらいだった。シンクには鶏団子を作った時に使ったボウルを水につけていたが、熱湯消毒しないと意味がない、食中毒になるって何回言えばわかるの?とため息をつかれた。疲れて仕事をして帰ってきて、晩御飯を作って、なぜここまで言われなくちゃならないんだろう。ただ私がずぼらで彼の意見が正しいことには間違いないので、何も言い返せずにティファールに水を汲んだ。水を汲む時でさえ浄水じゃなくて水道水でいいでしょとの野次(ではなくてアドバイス)が飛んだ。やれやれ。ボウルを熱湯につけている間に他の皿を洗っていると、単細胞の脳味噌はつい数分前に熱湯を注いだことを忘れ、うっかりなんの気なくボウルに手を突っ込み火傷した。やれやれ。


翌日-つまり今日-は彼氏は在宅だった。今のところ機嫌はいいが、今日一日で私が何かをやらかして、指摘が入り、機嫌を損ね、運が悪いと喧嘩になる可能性は大いにあった。可能性というか、もはやほぼほぼそうなるであろうという確信でさえあった。私は起きたての頭で、実は今日は有休なんだよねと彼に説明して-おそらくなんで前もって言わないのかと詰められてその後機嫌が悪くなる可能性が高い-そのまま家で過ごすのと、あと三十分で身支度をして家を出ていつもと同じくらいの時間に家に帰るのではどちらが楽かを考えた。明らかに後者の方が楽だった。のろのろと身支度をしていると、彼が紅茶を淹れて水筒に詰めてくれた。水筒はずっしりと重たくて、胸がちくりと痛んだ。


ルクア地下一階のスープストックトウキョウには、店員さんを捕まえてでかい声で世間話をしているおじいさんしかいなかった。モーニングセットを頼み、ボルシチを飲みながら適当な映画がないか探した。長ければ長いほどよかった。なにしろ時間はたくさんある。村上春樹原作のドライブマイカーが九時から上映だった。二時間五十九分の大作だ。素晴らしい。普段なら絶対見ないだろう。

劇場には私以外にはおばさんしかいなかった。この書き方をするとまるで自分が若者のようになってしまうが、私の母親くらいの年代しか見受けられなかったという意味である。彼女達は例外なく数メートル先にいる人を呼び止めるくらいの声量で会話をしていた。上映中も続くのではないかと思うくらい盛り上がっていたが、映画が始まるとピタリと会話は止まった。原作を読んでいたということもあるけれど、それにしても映画の出来は良く、三時間はあっという間に過ぎた。サンルーフを開いて煙草の煙を燻らせるシーンと、大画面で映される岡田将生の綺麗な熱っぽい両眼と、絶望した顔で最中の妻を見上げている西島秀俊の表情が印象的だった。


カフェでコーヒーを飲みながら映画に思いを馳せた。限りなく少数ではあるがこの文章を読んでくれている人に配慮をして詳細は書かないけれど、人と人が分かり合うということの難しさや、その中でどうやってコミュニケーションを取るかについて考えさせられる映画だった。鶏ガラを何倍入れたかは本当に興味本位で知りたかったのかもしれないし、私のやることなすことに注釈が入るのは本気で心配してくれているからなのかもしれない。コミュニケーションは本当に難しい。彼とはもう半年近くそういった行為おろかキスすらしておらず、四月にはお互い家を出ることを仄めかしている。でもきちんとぶつかって話し合いをした記憶はなく、ぶつかることを避けて嘘ばかり重ねている自分に嫌気がさした。これからの未来がどうなるかはわからない。ただ、どれだけ狭くてもいいから、有休を心置きなく過ごせる場所を取り戻したかった。

金木犀

街にはどこもかしこも金木犀の匂いが溢れていた。家を出た頃に降り出した小雨はいつの間にか止んでいた。赤信号で止まった隙にGAPパーカーのフードを脱ぎ、Googleマップを確認する。投票所まではあと五分ほどの位置まで来ていた。今から私は知らない町の知らない投票所に行き投票をして、ついこないだまで知らない男の子-現在の彼氏である-が待つ家へと帰る。この一年、本当に色んなことがあったなあとしみじみ振り返ると、金木犀の匂いだけは毎年どこにいても変わらないことに気が付いた。

去年の八月末に会社の同期だった彼氏に振られてから一年が過ぎた。三年と四ヶ月の付き合いだった。高校、大学とまともな恋愛なんかしたことのなかった私は人より周回遅れの人生を歩んでいたので、大抵の人が大学生のうちに済ませてきた失恋を二十六歳で初めて体験することとなった。髪を二十センチ切り、体重が八キロ落ちた。暇すぎて毎日した自己流の筋トレのせいで、足は変わらず太いのに腹斜筋だけが出現した。カラオケでモー娘。のシャボン玉を二桁以上は歌った。出会い系アプリはあらかたインストールした。初めて会ったJR東海の男の子は九月に出会ってから毎月会うほど仲良くなったが三月の人事異動をきっかけにそれ以来会っていない。二人目のIT企業の営業をしているという男の子は村上春樹1Q84を貸してくれたが、下巻を借りようとした際に家に連れ込まれそうになったので会うのをやめた。三人目の男の子は京大大学院に通っており、あまりにのんびりした学生気分(事実学生だから仕方ないけれど)のデートを重ねていくのに耐え切れずふっと連絡を途絶えてしまった。四人目の男の子は同い年だけれど院卒のため社会人二年目のシステム関係の会社員だった。院生の後だったからそう感じたのかもしれないけれど、それにしてもものすごいスピードで事が進んでいった。食事をして、お付き合いし、同棲をしてうまくいけば結婚を考えたいとの言葉に流されるまま同棲した。まだ一緒に住めるほど好きじゃないという私の気持ちは、一緒に暮らしたら好きになるかもよ、という彼の言葉で蓋をされた。

新居のシャーメゾンでは、ついこないだまでしていたレオパレス生活からは考えられないほど生活水準が引き上げられた。2LDKの部屋では常に二台の空気清浄機が稼働して湿度が六十パーセントに保たれ、洗面所にはおびただしい量の洗濯用洗剤と柔軟剤が並び、洗濯籠はおしゃれ着用と普段着用が並んだ。コンロ下には聞いたことも使ったこともない調味料が立ち並び、私がザルや鍋の蓋を勝手に使うと、怒られはしないもののなんで使ったのか理由を聞かれたり、一つ何かをするたびにこれは使うな、これを使えといった注釈が二つは返ってきた。メリットしかないと思っていた同棲生活は、蓋を開けるとメリットを上回るほどの窮屈がついて回った。すれ違いから口論が増え、口論になるとお互いのものの考え方やものの言い方が気に障り、憂鬱になった。彼のいうことは間違ってないし、私がずぼらなのは明らかだった。ただ神経質な彼と大雑把な私は、お互いにぴったりと寄り添えない存在なのだと口論になる度痛感した。まるでスーパーの冷蔵お菓子のコーナーに押し込められた豆腐パックのような気持ちだった。

十月も終わろうという頃に、何度目になるかわからない口論をした。私があなたのいうことは何一つ間違っていないけれど、私がそれをこなせる自信がないので結婚できる自信はありませんという旨を泣きながら伝えた。彼には私がどれだけ傲慢で利己的かを冷静かつ的確になじられた。私は泣きすぎて過呼吸になった。沢山の衝突を経て、我々は四月にはこの家を出たほうがいいという結論に至った。彼が吐き捨てるように早く寝たほうがいいと私に言い、私は枕を鼻水と涙で濡らしながら不貞腐れるように眠った。

朝起きると淹れたてのコーヒーが用意されていた。彼は人が変わったように優しくて、食卓には手の込んだ朝食がきちんと並んでいた。秋の朝特有の角度の低い太陽の光が満ちた部屋で、私はぼんやりと昨日の喧嘩は夢だったのだろうかと考えていた。怒りを継続させることはとても難しく、私は今でも自分がどうするべきなのかよくわかっていない。文章を書くことは私にとって事実を認識しやすくするのに最も適した行為だけれど、今回のことは文字に起こしても-それを我ながら読んでみても-何が書きたい文章なのかさっぱりわからない。この話の結論はなに?建設的な話し合いなの?と吐き捨てるように言った彼の言葉を思い出した。自分一人の気持ちだって綺麗に結論が出せないのに、それが二人分絡んできたら建設的になんてなる訳がないというのが私の正直な気持ちだった。ただそれをリアルタイムで言い返せるほど、私の頭も口も早く回らないのが現実だった。この書きかけの下書きも、何度も何度も編集して半月が経ってしまった。例によって私がブログを更新するのは新幹線に乗っていることが多く、今は名古屋と京都のちょうど間くらいにいる。全然綺麗な文章ではないけれど、この激動の一年を忘れないために形に残しておくことにする。本当はもっと清書したいけれど、スマートフォンの充電が残り三%になってしまった。このぐちゃぐちゃの文章もそれはそれでいい気がする。

来年の目標は、スーパーで豆腐パックが間違えてお菓子の冷蔵庫に置かれているのを発見したら元の場所に戻すこと。

コンテナブルー

JR大阪駅の中央改札口前は、待ち合わせをしている人々で混雑していた。私は大きなトートバッグを両手に抱き抱えて人の波を縫うようにしてその中を通り過ぎた。551の前あたりで、おそらくアプリで出会ったであろう男女が敬語で話しているのが聞こえた。かつて私も同じ場所で同じように男の子と出会い、そしておそらく今日が彼と会う最後の日だったのだろうと思う。そういうことって大抵後々になってから、あああれが最後だったんだなと気付くと思うけれど、今回は最後なことが前からわかっていた。私はまた会える?と口にし、彼は日本にいるんだからいつかは会えるよと返事した。私の欲しい答えはそんな答えじゃなかった。もし次に男の子と遊ぶとしたら-いい加減そんなことをしている年齢じゃないのだけれど-鉄道会社の人間だけはやめておきたい。


土曜日は快晴で気温も高く、ゲレンデの雪はあちこちで若干溶けはじめていた。空は気持ちいいくらい何にもない晴天だった。私が今年はスノボなんてしないと思ってた、と言いながら不器用にビンディングをいじる横で、こっちは三年振りだよと彼が苦笑いしながら慣れた手つきで既に準備を終えていた。初めのうちは私が先に滑り終え後ろを振り返り待っていたのに、一番下まで滑り終える頃には彼はあっという間に感覚を取り戻して私を抜き去っていた。リフトの待機列で彼を見つけて、黙って突然上手くなるのはやめろと抗議すると大笑いしていた。リフトに乗る間、私たちはお互いの特技について話し合った。私自身は趣味こそあれど特技なんて思い付かなかった。ピアノなら少し弾けたけど、安アパート住まいの今となっては指が動くか確かめることすらできなかった。彼は少し悩んでからヴァイオリンが弾けることくらいかな、と話した。なんだって?という私の間抜けな声が雪山に響いた。三歳の頃からヴァイオリンを嗜んでおり今でもまだ弾けるはず、といういらない補足がついた。やれやれとしか言いようがなかった。何一つ私より劣っているところが見当たらなかった。そんなはずないから考えてみなよ、と彼がどうせ思ってもいないであろうフォローをしてきたので悔しくて必死で考えてみた。リフトが終わる間際になって絞り出すように、部屋が綺麗、というと、彼は「それは生きる上で一番必要な特技だ」と頷いた。


翌朝は近くの喫茶店でサンドイッチのモーニングを食べた。以前フレンチトーストを食べた喫茶店で、今回が二回目だった。卵とトマトのシンプルなサンドイッチは私が今まで食べたトマト入りのサンドイッチで確実に一番美味しかった。自慢じゃないけれど私は大抵のトマトが食べられない(本当に自慢できない)。こんなにおいしいサンドイッチがもう食べられないなんて、と私がいうと、彼がメニュー表を裏返しながら尼崎つかしん店がある、といらない情報をくれた。

茶店から歩いて帰る道中は、私のささやかな文句に終始した。こんなにころころ異動するのが初めからわかっているのならアプリなんかしなければいい、どうせ遊ぶつもりで始めたのなら同じ女と何度も遊ばないで数をこなせ、というのが私の主張の概ねだった。育ちのいい人間の多くがそうであるように、彼は私の文句を否定せずにそうだねと微笑んでいた。こんなに一緒にいてらくちんできちんとお金も払う女はなかなかいない、当たりの部類に入ると私が冗談まじりにいうと、彼は大当たりだったと肯定した。そんな都合のいい女の当たりになんてなりたくなかった。


岸辺駅から大阪駅まで電車に乗っている間に貨物のコンテナがたくさん積んであるのが見えた。JR貨物は東海とは別会社にあたり、吹田のターミナルが一番大きいのだと教えてくれた。Wikipediaにはその情報の他にコーポレートカラーがコンテナブルーと明記してあった。JRは地域でコーポレートカラーが違い、東海はオレンジなのだそうだ。JRのロゴが地域によって違うことを初めて知った。思い返すと彼はいろんなことを教えてくれた。(コーヒーの最適温度は90度、ゴルフはなぜ18ホールなのか?)

私が彼に教えたことといえば、ジョイマンで一番好きなフレーズが世界中チェ・ジウということ、やさしいズというコンビの牛丼最強理論というコントが面白いということくらいだった。幸いにも彼はどちらにも大笑いしていた。車窓に映るスシローを見てサイゼリアがあるよと私が言うと、彼は少年のように笑っていた。


新大阪につき、彼が先に電車を降りることになった。思い返すと彼を見送るのは今日が初めてだった気がした。九月からほぼ毎月会ってたのにこれが最後の日だなんて実に皮肉なこともあるもんだなと他人事のように思った。降りる前に手を振り、電車を降りてから一度振り返り、ホームへと上る階段でもう一度振り返った。手を振る彼が車窓に流れて小さく消えた。大阪に着くとなんでもいいから買い物がしたくなった。ルクアの地下のスリーコインズで青い皿を買い、グランフロント北館の無印良品洗顔スポンジと高保湿化粧水とマイルドクレンジングオイルを買った。阪神電車に乗ると、余計なことを考えないように車窓にうつる文字に意識を集中させた。阪神住建、馬渕教室、馬渕個別、にしてつ、世界の大温泉スパワールド。左門殿川に差し掛かると実家に帰ってきたような安心感に包まれた。ここ三日間音楽を聴いてなかったことにふと気がつき、ワイヤレスイヤホンを耳にさした。とにかく適当な音楽を聴きたかった。プレイリストのランダム再生を選ぶと、藤井風のさよならべいべという歌が流れてきた。こんと思った時はすぐに来た、という出だしの歌詞が驚くほど胸にぐっさりと刺さった。涙がぼろぼろ落ちてマスクが冷たく濡れていくのを感じた。向かいに座っていたクールな高校生くらいの女の子-筋肉質に痩せていて、冬だと言うのに綺麗にこんがりと日に焼けていた-がおそらくスマホゲームを終えて横から縦画面に持ち替えた時に、正面の大の大人が泣いているのに気がついてぎょっとしているのが分かった。でも自分でももう抵抗のしようがなかった。私は音も立てずにただ静かに目から涙をこぼし続けていた。本当に悲しかったのは、泣くほど彼が好きだったというわけでなくて、将来への漠然とした不安からその涙が流れているということだった。


三日ぶりに帰った安アパートは、自分で言うのもおかしいけれど、綺麗で落ち着いた。金曜に使った弁当箱と皿は綺麗に洗われて吸水マットの上できちんと乾いていた。布団もたたんであり、拭かれた床やテーブルが日に照らされていて穏やかに光っていた。そのどれもが金曜の私が無意識にしていたことの産物だった。部屋が綺麗という苦し紛れに絞り出した自分の特技にまさか助けられるとは思わなかった。もう涙は出てこなかった。この先一生ひとりかもしれないけれど、綺麗で落ち着く自分の家があるというのは-世間一般的に見ればあまり家庭環境が良くなかった私にとっては特に-とても幸せなことであるように思えた。


文章を書いている途中で、もしかしたら私は文章を書くことが特技なのかもしれないと思ったので、後半は意図的に実際にした会話に忠実に書いてみた。分からないことがあるとよくネット検索をする彼が、もしかしたらこの文章を見つけるかもしれないので。私のささやかな当て付けが誰かにとって面白い文章でありますように。

穴の無いドーナツ

Y君が尼崎に帰ってきたというのを知ったのは、金曜の夜7時だった。比喩でなく文字通りくたくたになった体で家につき、浮腫んで脱ぎにくいヒールから足を無理やり脱出させ、足と手を洗い、マットを広げ、筋トレ用のKポップを流すためにスマホを持ち、やっとそこで私は彼からのLINEに気がついた。11時過ぎまで酒を飲む予定なのでその後家にきてもいいか、という用件だった。ドンキーコングをやりましょうと書いてあった。去年の夏頃、行きつけの居酒屋で酒を飲み、酔っ払って勢いでネットで購入した64のことだ。私が意識混濁の中頼んだ64は、しっかり受注、検品、梱包、配送され、酒を飲んだ二日後には我々のレオパレスに届いていた(私はまだ二日酔いの最中だった)。銀行口座からはきちんと4000円弱が引き落とされていた。いい時代になったものだ。我々はそれで一度だけドンキーコングをした。大人になってからやるドンキーコングはかなり面白いということを知った。もちろん、彼はそのためだけに来たのではないということはわかってるけれど、それにしたってあれは面白い夜だった。

私は床に広げたばかりのマットを畳み、掃除機をかけて皿を洗ってゴミを手早く捨てた。


Oちゃんは私の同期であり、Y君は一つ年下の後輩だった。二人ともはじめは恋人がいて、私だけが恋人がいなかった。いつしか私は同期の男の子と付き合い、Oちゃんは大学からの恋人と別れ、Y君はつい最近コロナの影響でーコロナが直接的原因でないにせよ引き金を引いたのはコロナだー三年付き合った彼女に振られていた。我々はかつては同じアパートに住む同じ会社で働く若者だったが、今では同じ会社で働く恋人がいない若者になってしまった。(26歳は若者カウントしていいよね?)私たちが最後にこの部屋に集まったのは、丁度Y君が彼女に振られた時以来だった。あれからY君は営業所に異動になり、私は恋人によくわからない理由で振られていた。三ヶ月弱しか経っていないのに、あの夜から随分経ってしまった気がした。


久しぶりに配線された64は、今までほったらかしにされていたことを責めるようにうんともすんとも言わなかった。コンセントを抜き挿ししたり、ウェットティッシュで拭いてみたり、彼女の機嫌を損ねた彼氏のようにあらゆる角度で向き合ってみたが全ては無駄になった。無言の抗議だった。Y君は別にいいですよ、といいグラスをかかげた。私たちは久しぶりの再会に乾杯した。前過ごした夜と違うのは、私が独り身になったこと、私の彼氏がこの場にいないことだった。本当の大事さは居なくなってから知るんだ、と私が呟くと、らんらららんらん、へいへいへーへえい、と二人が返した。同世代の人間と話していると確かにある種の手間が省ける、という村上春樹の一説を思い出した。


話題は振られたときに聴く歌についてになった。私があいみょんのわかってないを流し、Y君がモノノアワレのドーナツを流した。YouTubeはすぐにこの三人組が失恋した傷を舐め合う哀れな男女なことを把握したらしく、キリンジのエイリアンズを流した。いい選曲だ。Y君が「僕、これ聴いて泣いてました」と言った。YouTubeってすごい。


Y君の終電がなくなり、Oちゃんが自前の布団と枕を持ってきた。私とOちゃんが床に敷いた布団で寝て、Y君はソファで寝ることにした。高低差こそあれど、立派な川の字だった。Oちゃんが修学旅行みたいと言い、私が好きな人の話する?と返すとくすくすと笑った。夜の虫が鳴いていた。Y君のいびきを初めて聴いた。私とOちゃんは暫く眠れなくてくすくすと笑っていた。素敵な夜だった。

マイナス6.5

恋人に別れを告げられてちょうど一週間が経った。馬鹿みたいに暑くて日陰なんか一つもない鳴尾浜臨海公園で、我々は話し合いとも呼べない平行線な意見の押し付け合いをした。でもこんなのどちらかが折れなければ終わらないのだ。大抵の場面–というか往々にしてほぼ全て–意見がぶつかる時は私が折れてきた。今回も私が折れるしかないし、私はどうしても人の意見に負けてしまう性分だった。その足で彼の家に行き、三年間ため込んだ私物を分別した。三年間ため込んだ私物は、ゴミ袋二つと紙袋三つに綺麗に収まった。最後くらい甘やかせて、といい後ろから抱き締めてもらった。本当に髪が短くなったね、という彼に、本当は短い髪でたくさん旅行に行って写真撮るつもりだったのに、と努めて明るく返すと、首筋に冷たいものを感じた。振った側が泣いてんじゃねえよ。


久しぶりに訪れた梅田はたくさんの人々でごった返していた。社内の先輩の誕生日祝いのために選んだホテル阪急のレストランも混雑していたら嫌だなと思ったけれど、そんな心配をよそに当のレストランはかなり空いていた。野生の猛禽類のように広大な視野を持つウェイターが、適切なタイミングで適切な料理を運んでくれた。料理も申し分なく、内装も綺麗だった。丁度一年ほど前に私を苦しめた大口現場で、こんなに落ち着いた気分で食事ができる日が来るなんて思わなかったと愚痴をこぼすと、先輩はけらけらと笑った。


大丸梅田に行き、ダブルスタンダードで先輩の試着に付き合った。店員の女性とは下の名前で呼び合うほど仲が良く、前回なにを買ったか把握されているあたりかなりの常連なことが伺えた。たくさんの商品が女性から先輩へ手渡され、怒涛のファッションショーが始まった。変形ペプラムのトップスと、共生地のプリーツスカートがとても綺麗だった。女性が首尾良く持ってきたバックジッパーの細身のショートブーツが、その服のためにあつらえた様にしっくりと似合っていた。先輩がこれで、と言うと女性がにっこりと微笑み、手品師がトランプを綺麗にまとめるようにあっという間に一連の服がショッパーに収められた。流れるように十万弱の会計が終わった。見ているだけで気持ちの良い買い物だった。


先輩を見送った後、自分の買い物のためにルクアへ向かった。眼鏡屋には買う気なんかこれっぽっちもないであろう女の子の集団と、装苑に載っていそうなカップルと、フェスで出会ったであろうカップルがいた。新商品や売れ筋の棚は人がごった返していたので、端の低価格帯コーナーでいくつか眼鏡をかけてみた。どれもしっくりこなくて首を傾げていると、塩顔で体毛が濃いタイプの店員に声をかけられた。お選びしましょうか、と言われ反射的にこれで!と持っていたそんなに気に入ってない眼鏡を差し出してしまった。あっという間に視力検査にうつり、ひらがなを幾つか読み上げて、自分の視力がさらに落ちていたことが分かった。1.0見えるように作ると度数がきつくて疲れてしまうかもしれない、と説明を受けたけれど、クリアな視界を取り戻したかった。このままで作ってもらうことにした。


今は作り上がったばかりの眼鏡を掛けている。久しぶりに視力1.0で見る世界は濃く、鮮やかで、ちょっと頭が痛くなった。早く慣れたらいいのに。